日月神示 紫金之巻 第八帖から第十四帖

第八帖

 

 千引岩(ちびきいわ)今ぞあけたり爽(すが)し富士はも。

 

 神は宇宙をつくり給わずと言って聞かせてあるではないですか、このことよく考えて、よく理解してくださいね、大切な分かれ道なのですから。

 

 福祓いも併(あわ)せて行わねばならない道理。

 

 光は中からです、岩戸は中から開かれるのです、ウシトラが開かれてウシトラコンジンがお出ましになります、もう邪(よこしま)のものの住む一寸の土地もなくなったのですよ。

 

 

第九帖

 

 新しき御代(みよ)のはじめの辰(たつ)の年、現(あ)れ出(い)でましぬかくれいし神。

 

 幽(かく)り世(よ)も顕(うつ)し御国(みくに)の一筋の光の国と咲き初(そ)めにけり。

 

 

第十帖

 

 この巻、五葉(ごよう)の巻と言いなさい、四つの花が五つに咲くのですから、女松の五葉、男松の五葉、合わせて十葉と成り成り成りて笑(え)み栄(さか)ゆる仕組み、十と一の実のり、二二(ふじ)と輝きます、日本晴れ近づいたのです、あな爽々(すがすが)し、岩戸あけたり。

 

 国土をつくり固める為に、根本大神がなぜにヌホコのみを与えたまいしか?を知らないと、岩戸開きの秘密は解けません。

 

 千引(ちびき)岩戸を開くことについて、神は今まで何も言わなかったのですが、時めぐり来て、その一端をこの神示で知らすのです、スサナルの命(みこと)のまことの御姿が分からねば次の世のことは分かりませんよ、神示(ふで)をいくら読んでも肝心要(かんじんかなめ)のことが分からないと何にもなりませんよ。

 

 

第十一帖

 

 何もかも前に前に知らせてあるのに、人民は先が見えないから、言葉のふくみが分からないから取り違いばかり、国土(くにつち)の上は国土の神が治(し)らすのです、世界の山も川も海も草木も動物虫けらも皆この方が道具に、数で作ったのです。

 

 いよいよが来ました、いよいよとは一匹一匹です、五と五です。

 

 十なのです、十一なのです、クニトコタチがクニヒロタチとなります、クニは黄です、真中です、天は青です、黄と青と和合して緑、赤と和して橙(とう)となり、青と赤と和して紫となる、天上天下地下となり六色となり六変となり六合(くに)となるのです、さらに七となり八となり白黒を加えて十となる仕組、色霊(いろたま)結構致してください。

 

 

第十二帖

 

 横の十(かみ)の動きがクラゲナスタダヨヘルであり、縦の十の動きがウマシアシカビヒコジなのです、十と十と交わり和して百となり九十九と動くのです。

 

 過去も未来も霊界にはない、「今」があるのみ、これを中今(なかいま)と言います。

 

 竜宮の乙姫殿、日の出の神殿、岩の神殿、荒(あれ)の神殿、風の神殿、雨の神殿、暗けん殿、地震の神殿、金神(こんじん)殿の九柱なり、総大将は国常立大神なり、このこと分かってくださいね、教えはなくなります、元の道が光り輝きます、これを惟神(かんながら)の道と言います。

 

 

第十三帖

 

 少しでも交じり気があったら先になって取返しがつかないことになります、今度は一厘の狂いがあってもなりません。

 

 柱になる人民もあれば屋根になる人民もあります。

 

 天の王と地の王とをゴッチャにしているから分からないことになるのです、その上にまた大王があるのですが、大王は人民には見当とれない、無きがごとき存在なのです。

 

 人民は具体的にと言うけれど、人民の言う具体的とは凝り固まった一方的なもの、一時的なその時の現われなのですよ。

 

 人民の言う絶対無、絶対空は無の始めであり、空の入口なのです、そこから無に入りなさい、空に生きなさい。

 

 いよいよの代(よ)となるのです。

 

 

第十四帖

 

 現実の事のみで処してはなりません、常に永遠の立場に立ち処理しなさいと言ってありましょう、生きることは死に向かって進むこと、マコトに生きる大道に目覚めてくださいな、神示を始めから読めば何事もありやかですよ。

 

 奥山はあってはならない無くてはならない存在なのです。善人の住むところ、悪人の休む処(ところ)と言ってありましょう、奥山は神、幽、現の三界と通じるところ。

 

 八尋(やひろ)殿の左と右に宮が建つ、奥にも一つ。