日月神示 龍音之巻 第十三帖から第十九帖

第十三帖

 

 時に、例外として人間の魂と動物の魂と入れ替わっていることもあるのですよ、この場合は肉体に入り込んだと考えてよいのです。こういう場合、例えばそれが狐ならば狐の様相を露呈するので、誰にでもすぐわかるのですが、悪行を積んだ霊ともなれば巧みに、その時代時代の流れに合わせて化けていますから、なかなか見破ることは難しいのです、心得てくださいね。ある種の霊は、自分自身は高度な神界に住んでいると誤信しているものもいますが、こうした霊が感応した場合は自信をもって断言する場合が多い。人間が知らぬ世界のことを、自信をもって強く告げられると、多くの審神者(さにわ)は参ってしまいます。

 

 

第十四帖

 

 幽界霊も時により正しく善なることを言いますが、それはただ言うだけなのですよ。悪人が口先だけで善を語るようなものなのですよ、よいことを語ったとしても直ちに善神と思ってはなりません。よい言葉ならば、たとえ悪神が語ってもよいではないかと思うものもありますが、それは理屈です、甘ければ砂糖でなくサッカリンでもよいではないかと言うことですよ。真の善言真語は心・言・行一致ですから直ちに力する、言葉の上のみ同一であっても、心・言・行が一致していないと力しません。偽りの言葉は、落ち着いて聞けばすぐわかりますよ、同じ「ハイ」という返事でも、不満を持つ時と喜びの時では違いましょう。我は天照大神なり、などと名乗る霊にロクなものはいませんよ、大言壮語する人民は眉唾(まゆつば)もの。

 

 

第十五帖

 

 審神(さにわ)は、場合によって霊媒を誘導してもよいのですよ、また霊に向かって常に愛を持って接しなければなりませんよ。誰でも絶えず霊界とのつながりがあり、霊界からの呼びかけがあるから審神はそれを助け、導くように努力しなければなりませんよ。

 

 

第十六帖

 

 始めに出て来る霊はほとんど下級霊ですよ、玄関にまず出て来るのは玄関番ですよ。祖霊の出る場合は、何か頼みたい場合が多いのです、浄化した高級霊ともなれば、人民にわかるような感応はほとんどありません。

 

 

第十七帖

 

 霊の要求だと言って、そのまま受け入れてはなりません。よく判断した上で処理しなければなりません。下級霊、動物霊の場合は酔いどれのように箸(はし)にも棒(ぼう)にもかからないことを言うのです。ことにその霊が病気に関連を持っている場合は微妙ですから、よく心得なさい。悪い企て、悪い行為だとしても、直ちに決めつけてはなりません、やんわりともちかけて善(よ)きに導かなければなりません。悪を嫌う心があってはなりません、悪抱き参らせと言ってありましょう。邪道的要求を容れて一時的に病気を治すと、それに倍してブリ返しますよ、この呼吸大切。

 

 

第十八帖

 

 霊に日月神示を読んで聞かせてみよ、その偉大さがハッキリ分かりますよ。どんな下級霊であっても、その霊を馬鹿にしてはいけません、馬鹿にすると反射的に審神者(さにわ)を馬鹿にして始末におえないことになりますよ。霊覚者や行者(ぎょうじゃ)の中には奇跡的なことや非常識な行動をする者がよくありますよ、一般の人民はそれに騙(だま)されることがよくあるのですよ、いずれも下級霊の仕業(しわざ)ですよ、正神には奇跡はない、奇跡ないことが大きな奇跡なのですよ、奇跡するものは亡びます。高級霊は態度が立派なのです、わかりましたか。

 

 

第十九帖

 

 霊の発動を止めて静かにする法は、「国常立大神(クニトコタチノオオカミ)、守り給え幸(さき)はえ給(たま)え」と三回繰り返すこと。また、「素サ鳴大神(スサナルノオオカミ)、守り給え幸はえ給え」と三回繰り返すこと、または「太日月地大神(オオヒツキクニオオカミ)、守り給え幸はえ給え」と三回繰り返すこと。世界そのものの霊かかり、日本の霊かかり、早く鎮(しず)めないと手におえないこととなりますが、見ていなさい、見事なことを致して御目(おんめ)にかけますよ。

日月神示 至恩之巻 第一帖から第八帖

五十黙示録 第六巻

 

至恩(しおん)之巻(全十六帖)

 

昭和三十六年九月一日

 

 

第一帖

 

 岩戸開きと言ってありますが、天は天の、地は地の、人民は人民の、動植物は動植物の、それぞれの岩戸を開くのですから、その立場立場によって違うところがありますよ、それを自分の物差しで計って、岩戸開きとはこんなものだと定めていると、いよいよ分からない時代となってきますよ、気をつけてください。

 

 

第二帖

 

 フトマニとは大宇宙の法則であり秩序ですよ、神示では012345678910と示し、その裏に109876543210がありますよ、〇九十(まこと)の誠ですよ、合わせて二十二、富士ですよ、神示の始めに示してありましょう。二二(フジ)は晴れたり日本晴れですよ。

 

 

第三帖

 

 わかるように説いて聞かすので、今までの智をひとまず捨てて、生まれ赤児となりて聞いて下さいよ。天之(アメノ)ウヅメの命(ミコト)が天照大神に奉った巻物には一二三四五六七八九十と書いてあったのですよ。その時はそれで一応よかったのですが、それは限られた時と所でのことで永遠のものではないのですよ。

 

 

第四帖

 

 この時代には、一二三四五六七八九十の数と言葉で、死者も蘇るほどの力があったのですが、だんだんと曇りが出て来て、これだけでは役に立たないことになって来たのです。岩戸開きの鍵でしたが、今度の岩戸開きには役に立たないようになったのです。始めに神がなくてはなりません、神は神です。

 

 

第五帖

 

 人民の肉体も心も天地も皆同じものから同じ想念によって生まれたのですよ。故に同じ型、同じ性を持っているのです、その神の天津神(あまつかみ)はイザナギ、イザナミの神と現われまし、成り成りの成りの果てにイザナギ、イザナミの命(ミコト)となり給いて、まず国土(くにつち)をつくり固めんとしてオノコロの四音の島をならし、八尋殿(やひろどの)を見立てられたのですよ、これがこの世の元、人民の頭に東西南北の四方があり八方と拡がりますが、八十となり、八百、八千と次々に広がって八百万(やおよろず)と成り成るのですよ。

 

 

第六帖

 

 四と八によってなされたのですから、神羅万象の悉(ことごと)くがその気を受けているのですよ。原子の世界でもそうですが、これが今の行き詰まりの原因ですよ、八では足りません、十でなくてはなりません、〇でなくてはなりませんよ。岩戸開きの原因はこれでわかったでしょう。

 

 

第七帖

 

 根本の元の元の元の神は、〇から一に、二に、三に、四に、五に弥栄したのですよ、別天津神五柱(ことあまつかみいつはしら)と言ってありましょう、五が天なのですよ。五は数ですよ、転じて十となりますが、動き栄えるには十と一の神が現れなければなりません、これが中を取り持つ二柱(ふたはしら)の神です。

 

 

第八帖

 

 ナギ、ナミ夫婦神は八分通り国土を生み育てられましたが、火の神を生み給いてナミの神は去ったのです。物質偏重(へんちょう)の世はやがて去るべき宿命にあります、心得てください。ナミの神はやがて九と十の世界に住みつかれました。妻神に去られたナギの神は一人でモノを生むことの無理であることを知り給い、妻神を訪ね給い、相談されたのですが、話が途中からコジレてついに別々に住み給うこととなり、コトドを見立てられて千引(ちびき)の岩戸を閉め、両神の交流、歓喜、弥栄は中絶したのです。

日月神示 至恩之巻 第九帖から第十六帖

第九帖

 

 千引岩を閉ざすに際してナミの神は夫神の治(し)らす国の人民を日に千人食い殺すと言い、ナギの神は日に千五百の産屋(うぶや)を建てると言われたのです。これが日本の国の、また地上の別名ですよ、和をよく極めて下されば分かることですよ、天は二一六、地は一四四と言ってありましょうが、その後ナギの神は御一人で神々を始め、いろいろなものを生み給うたのですよ、マリヤ様が一人で生みなされたのと同じ道理、この道理をよくわきまえなさい。此処(ここ)に大きな神秘が隠されています。一神で生む限度は七乃至(ないし)八であり、その上に生まれおかれる神々は皆七乃至八ですが、本来は十万十全まで拡がるべきものなのです。ある時期までは八方と九、十の二方に分かれてそれぞれに生長し、弥栄し行くのですよ。

 

 

第十帖

 

 国常立神(クニトコタチ)も素サ鳴命(スサナル)も大国主命(オオクニヌシ)も、すべて地に縁(ゆかり)のある神々は皆、九と十の世界に居られて時の来るのをお待ちになっていたのですよ、地は智の神が治(し)らすと知らせてありましょう、天運正にめぐり来て、千引の岩戸は開かれて、これら地に縁のある大神たちが現れなされたのですよ、これが岩戸開きの真相であり、誠(まこと)を知る鍵なのですよ。

 

 

第十一帖

 

  いよいよわからないことが、さらにわからないことになりますよと言ってありますが、ナギの命(ミコト)の治(し)らす国もナミの命の治らす国も、双方からお互いに逆の力が押し寄せて交じりに交じるので、いよいよわからないことになるのですよ。

 

 

第十二帖

 

 分からないと言うのは一面しか見えないことなのですよ、双方を見る目に、早く改心してくださいよ。この白黒まだらな時は長く続きません、最も苦しいのは一年と半年、半年と一年ですよ、死んでからまた甦られるように死んでくださいね、マコトを心に刻みつけておいてくださいね。

 

 

第十三帖

 

 死ぬか生きるかは人民ばかりではないのです、神々様も神羅万象の悉(ことごと)くが同様なのですよ、しばらくの生みの苦しみ。八の世界から十の世界になるのですから、今までの八方的な考え方、八方的な想念や肉体では生きてはいけないのですよ、十方的想念と肉体でなくてはなりませんよ。

 

 

第十四帖

 

 八方的地上から十方的地上となるのですから、すべての位置が転ずるのですから、物質も念もすべてが変わるのです。これが元の元の元の大神の御神策です、今までは時が来なかったので知らすことが出来ないことがありましたが、いよいよが来たので皆に知らせるのですよ。百年も前からそら洗濯ですよ、掃除ですよと言ってありましたが、今日の為なのですよ、岩戸開きの為なのですよ。今までの岩戸開きと同様ではありません、末代に一度の大岩戸開きなのです。

 

 

第十五帖

 

 神の言うことは一分一厘違わないのです、今度言うことを聞かないと大変な気の毒となりますよ、地の下になってしまうのですよ、一二三四五六七八の世界が一二三四五六七八九十の世となって、〇一二三四五六七八九十の世となるのですよ、〇一二三四五六七八九十がマコトと言ってありましょう。裏面で二十二です、二二の五です、二二(ふじ)は晴れたり日本晴れですよ、わかりましたか。

 

 

第十六帖

 

 太陽は十の星を従えるのですよ、原子も同様ですよ。物質が変わるのですよ、人民の学問や智ではわからないことですから早く改心第一ですよ。二二と言うのは天照大神殿の十種(とぐさ)の神宝(かむだから)に神を入れることなのですよ、これが一厘の仕組。二二となるでしょう、これが富士の仕組、七から八から鳴り鳴りて十となる仕組、成り成りあまるナルトの仕組。富士と鳴門の仕組いよいよですよ、これがわかったならば、どんな人民も腰をぬかしますよ。一方的に一神でモノを生むこと出来るのですが、それでは終わりは全うできません、九分九厘で厘止まりですよ、神道も仏教もキリスト教もそうでありましょう、卍(ぶつ)もキリストもすっかり助けると言ってありましょう、助かるには助かるだけの用意が必要ですよ。用意はよいですか。このこと大切ですよ、気をつけておいてください。成り成りて十と開き、二十二となりますよ、富士晴れますよ、大真理世に出ますよ、新しき太陽が生まれるのですよ。

日月神示 五葉之巻 第一帖から第八帖

五十黙示録 第七巻

 

五葉(ごよう)之巻(全十六帖)

 

昭和三十六年九月一日

 

 

第一帖

 

 あの子を生んで、この子を産んで去ったのです。その中に一人だけ良くない子が出来ました、その子には海の藻草や山の菜、野菜を食べさせてください、だんだん良い子になりますから。

 

 

第二帖

 

 霊界に方位はありません、人民は東西南北と言っていますが、今に東の東が現れてきます。霊界では光の射す方が北です、その他の東西南北は皆南です、北が北です、北よくなりますと言ってありましょう。

 

 鳴門(なると)の渦巻きを渡る時は舵(かじ)を放して、手放しで流れにまかせると渡れるのです、舵をとると同じところをグルグルなのです。舵を放せる人民は少ないですね。何でもかんでも舵をとって自分の思う通りに船を進めようとするから大変が起きるのです、渦にまかせる時はまかさなければなりません、鳴戸の仕組の一面なのです、大切ごとですよ。

 

 

第三帖

 

 友つくりなさいと言ってありましょうが、友と言っても人間ばかりではありませんよ、山も友です、川も友です、動植物も友です。一人の友を得たら一つの世界を得たことなのです、何もかも皆友です、友は己です、皆己となれば己なくなるのです、己なくなれば永遠に生きられます、無限の己となります。御神前で拝むのもよいですが、空を拝みなさい、山も川も拝みなさい、野菜拝めば野菜が、魚を拝めば魚が神となり、また己となるのです。足りないことのない細矛千足(くわしほこちたる)の浦安(うらやす)の自分となるのですよ。

 

 

第四帖

 

 お尻を出したらお尻をキレイに拭いてやりなさい、怒ってはなりません、お尻を出されるには、出されるだけの何かの原因が己の中にあるのですよ。利子は後からでよいと言いますが、先に払うこともあるのですよ、先にお尻を拭いてあげねばならないこともあります。世が迫って岩戸が開いたのですから、先にお尻を拭くことも出てきますよ、思わぬお尻持ち込まれることもありますが、怒ってはなりません、気持ちよく拭いてやりなさい、やがては神がそなたのお尻を拭いて下さりますよ。

 

 

第五帖

 

 もの与えることなかなかですね、心してよきに与えなければなりませんよ。与えることは頂くことと知らしてありましょうが、与えさせて頂く感謝の心がなくてはなりません、強く押すと強く、弱く押すと弱くはね返ってきますよ。自分のものというものは何一つないのですよ、このこと分かれば新しき一つの道が分かりますよ。

 

 

第六帖

 

 仕事はいくらでもあるではないですか、七つの仕事がありますよ、七人の替え身魂(みたま)ありますと知らせてありましょう、高く昇らないと遠くは見えません、目の先ばかり見ているから行き詰るのですよ、道には落とし穴もありますよ、心得て、仕事に仕えまつりなさい。岩戸は開かれているのに何をしているのですか、光が射しているのになぜ背を向けているのですか、十の仕事をして八しか報酬がないこともありますよ、この場合、二は神に預けてあると思いなさい、神の帖面には誤りはないのです、利子がついて返ってきますよ、マコトのおかげは遅いと言ってありましょう。

 

 

第七帖

 

 昨日は昨日、今日は今日の嵐。昨日に囚われることのないように、人民の道は定まっていますが、目の前だけしか見えないので踏み迷うのですよ。薬を飲んで毒死しないようにしてくださいね、薬は毒、毒は薬なのです、大峠にも登りと下りがあります、馬鹿正直はなりません、頭の体操、ヘソの体操大切ですよ。

 

 

第八帖

 

 出し切ってしまうと味がなくなりますよ、自分の力が隠せないようでは大仕事は出来ません。取り越し苦労、過ぎ越し苦労はやめて下さい、地球という大船に乗って一蓮托生なのです、現在の仕事が御神業と心得てください、不満を持ってはなりません、あなたが招いた仕事ではありませんか。この道理分からねば迷信の迷路に入りますよ。

日月神示 五葉之巻 第九帖から第十六帖

第九帖

 

 平等とか公平とか言うのは悪魔の罠です。天地をよく見なさい、人民の言うような平等も公平もないでしょう、一寸伸びる草もあれば一尺伸びる草もあります、一寸の草は一寸が、一尺の草は一尺が頂点なのです。

 

 これが公平であり平等と言うもの。人民は選挙という麻薬に酔っています、選挙をすればするほど本質から遠ざかるのです。他に方法がないと定めてかかるから、悪魔に魅入られているから分からないことになるのです。世は立体なのに平面選挙していては相成りません。平面の数で定めてはなりません、立体の数に入れなさい。

 

 

第十帖

 

 悪自由、悪平等の神が最後の追込みにかかっていますが、もう悪の世は済んで岩戸が開けているのですから、何とやらのように前から外れてアフンです、七重(ななえ)の花が八重(やえ)に、八重が九重(ここのえ)、十重(とえ)に開くのです、七重はキリストです、八重は仏教です、今の神道です、今までの教えは潰れると言ってありましょう。とやかく言わずに掴めるところから神を掴んでついてください、水は流れるところへ流れているでしょう、あの姿。

 

 

第十一帖

 

 善では立ちて行きません、悪でも行きません、善悪でも行きません、悪善でも行きません。岩戸と言っても天の岩戸もあるのです、今までは平面の土俵の上での出来事でしたが、今度は立体土俵の上なのです、心をさっぱり洗濯して改心しなさいと言ってありましょう、悪い人のみ改心するのではありません、善い人も改心しなければ立体には入れません、この度の岩戸は立体に入る門なのです。

 

 

第十二帖

 

 八のつく日に気をつけていましょうが、八とは開くことです。今が八から九に入る時なのです、天も地も大岩戸開き、人民の岩戸開きに最も都合のよい時です、天地の波に乗ればよいのです、楽し楽しで大峠を越せます、神は無理は申しません、やればやれる時なのです、ヘタをすると世界は泥の海、神々様も人民様も心の目を開いてください、新しき太陽は昇っているではないですか。

 

 

第十三帖

 

 悪を食って暮らさねばならない時が近づきました、悪に食われないように、悪を噛んで、よく消化し、浄化してください、悪は善の仮面を被っていることが多いのです、しかし悪も大神の中に生まれたものであることを知らねばなりません。騙したいものにはひとまず騙されてやりなさい、騙されまいとするから騙されるのです。生命の樹の実は美しくおいしいのです、食べてはなりませんが食べなければなりません、肉体欲が先に出るから生命を失う、心でとって実を喜ばせて食べるとよいのです、食べないで食べる秘密。

 

 

第十四帖

 

 一升枡(いっしょうます)には一升入ると思っていますが、一升を入れるとこぼれます、腹一杯食べてはいけません、死に行く道です、二分をまず神に捧げなさい。流行病は邪霊集団の仕業、今に分からない病、世界中の病はげしくなります。

 

 

第十五帖

 

 今に大きい呼吸も出来ないことになりますと知らせてありましたが、その時が来ました、岩戸が開けるということは、半分のところは天界となることなのです、天界の半分は地となることです、今の肉体、今の思念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸は開けません、今の肉体のままでは、人民生きては行けません、一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れ替えて、ミロクの世の人民として蘇らす仕組、心得なさい、神様でさえ、このことは分からない御方があります、大地も転位、天も転位します。

 

 

第十六帖

 

 マコトでもって洗濯すれば霊化される、半霊半物質の世界に移行するのですから、半霊半物の肉体とならねばなりません、今のやり方ではどうにもならなくなります、今の世は灰にするより他に方法のない所が沢山あります、灰になる肉体であってはなりません、原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのですよ、今の物質でつくった何ものにも影響されない新しい生命が生まれつつあります。岩戸開きとはこのことなのです、少しくらいは人民つらいでしょうが、勇んでやってくださいね、大弥栄の仕組。

日月神示 紫金之巻 第一帖から第七帖

五十黙示録 五葉之巻 補巻

 

紫金(しきん)之巻(全十四帖)

 

昭和三十六年

 

 

第一帖

 

 高天原(たかあまはら)、おのころに神祇(かみ)つまります、すめむつカムロギ、カムロミのミコトもちて、千万(ちよろづ)の神祇(かみ)たちを神集(かむつど)へに集へ給ひ、神はかりにはかり給ひて、下津岩根(したついわね)に宮柱二十敷建(みやばしらふとしきた)て高天原(たかあまはら)に千木高(ちぎたか)知りて、伊都(いづ)の神宝(みたから)の大御心(おおみこころ)のまにまに千蔵(ちくら)の置蔵(おきくら)におき足(た)らはして、天地祝詞(あめつちのりと)の二十祝詞言(ふとのりとごと)をのれ、かくのらば神祇(かみ)はおのもおのもの岩戸を押しひらきて伊頭(いづ)の千別(ちわ)きに千別(ちわ)き給ひて聞(きこ)し召さむ、かく聞(きこ)し召してば、天(あめ)の国顕(うつ)し国共に罪という罪はあらじと科戸(しなど)の風の吹き放つことの如く、朝風(あさかぜ)夕風(ゆふかぜ)の吹きはらふ如く、大(おほ)つ辺(べ)に居る大船をへときはなちともとき放ちて大海原に押しはなつ事の如く、のこる罪も穢(けがれ)もあらじと祓(はら)へ給え清め給ふことを、よしはらへ、あしはらへ給ひて弥栄の御代とこそ幸はえ給へ幸はえ給へ。

 

 〇一二三四五六七八九十百千万歳万歳。

 

 

第二帖

 

  大君(おおきみ)の勅(みこと)にみそぎし今朝の太陽(ひ)を吸う。

 

 日々の人民の御用が神の御用と一致するように努力しないといけません、一致すれば嬉し嬉しで暮らし向きも何一つ足らないものはなくなってきますよ、食物が喜んで飛び込んできますよ、着るものが着てくれと飛び込んできますよ、住居も出来てきますよ、心のそれぞれも同様ですよ。

 

 

第三帖

 

 伊豆(いず)ぬさを都(と)ぬさに結び岩戸ひらきてし。

 

 ウヨウヨしている霊の憑依に、まだ騙されている人民が多いですね、何と言えば分かるのでしょうか、奇跡を求めたり、我(わ)れ善(よ)しのおかげを求めたり、下級な動物の容(い)れ物となっているから、囚われているから、騙されるのですよ。

 

 霊媒の行いをよく見ればすぐ分かるではないですか。

 

 早く目覚めなさい、因縁とは言いながら、可哀想だからくどく言って聞かせているのですよ、マコトの道にかえりなさい、マコトとは〇一二三四五六七八九十と言ってありましょう、その裏は十九八七六五四三二一〇で、合わせて二十二なのですよ、二二が真理と知らせてありましょう、二二が富士と言ってありましょうが、まだ分かりませんか。

 

 

第四帖

 

 豊栄に栄り出(い)でます大地(くに)の太神。大掃除が激しくなれば世界の人民は皆、仮死の状態になります、掃除が終わってから因縁のミタマのみを神がつまみあげて、息吹き返してミロクの世の人民とするのです、因縁のミタマには神のしるしがつけてあります、仏教による者のみ救われると思ってはいけません、キリストによる者のみ救われると思ってはいけません、神道による者のみ救われると思ってはいけません、アラーの神による者のみ救われるのではありません、その他諸々の神、それぞれの神による者のみ救われるのではありません、何もかも皆救われるのです、生かすことが救うこととなる場合と、殺すことが救うことになる場合はありますが。

 

 

第五帖

 

  岩戸ひらきみほぎの神宝(たから)たてまつらまし。

 

 月は赤くなります、日は黒くなります、空は血の色となります、流れも地です、人民四つん這いやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなります、大地震、火の雨降らしての大洗濯ですから、一人逃れようとして、神でも逃れることは出来ません、天地まぜまぜとなるのです、引っくり返るのです。

 

 

第六帖

 

  白玉や赤玉青玉ささげまつりし。

 

 今までは白馬と赤馬と黒馬とでしたが、岩戸が開けたら、岩戸の中から黄の馬が飛び出してきます、キが元ですと言ってありましょう、トドメの馬なのです、黄金の馬なのです、救いの馬なのです、このことは神界の秘密でしたが、時が来たので人民に伝えるのです、今までは白馬に股がって救世主が現れたのですが、いよいよの救世主は黄金の馬、キの馬にのって現れるのです。

 

 

第七帖

 

  太祝詞(ふとのりと)のりのり祈らば岩戸ひらけん。

 

 神は一時は仏とも現れたと言ってありましたが、仏ではもう治まりません、岩戸が開けたのですから、蓮華(れんげ)ではなりません。

 

 人民も改心しなければ、地の下に沈むことになります、神が沈めるのではありません、人民が自分で沈むのですよ、人民の心によって明るい天国への道が暗く見え、暗い地の中への道が明るく見えるのですよ、珍しきこと珍しき人が現れてきます、ビックリ、ひっくり返らないように気をつけてくださいね、目の玉飛び出しますよ、たとえではありませんよ。

日月神示 紫金之巻 第八帖から第十四帖

第八帖

 

 千引岩(ちびきいわ)今ぞあけたり爽(すが)し富士はも。

 

 神は宇宙をつくり給わずと言って聞かせてあるではないですか、このことよく考えて、よく理解してくださいね、大切な分かれ道なのですから。

 

 福祓いも併(あわ)せて行わねばならない道理。

 

 光は中からです、岩戸は中から開かれるのです、ウシトラが開かれてウシトラコンジンがお出ましになります、もう邪(よこしま)のものの住む一寸の土地もなくなったのですよ。

 

 

第九帖

 

 新しき御代(みよ)のはじめの辰(たつ)の年、現(あ)れ出(い)でましぬかくれいし神。

 

 幽(かく)り世(よ)も顕(うつ)し御国(みくに)の一筋の光の国と咲き初(そ)めにけり。

 

 

第十帖

 

 この巻、五葉(ごよう)の巻と言いなさい、四つの花が五つに咲くのですから、女松の五葉、男松の五葉、合わせて十葉と成り成り成りて笑(え)み栄(さか)ゆる仕組み、十と一の実のり、二二(ふじ)と輝きます、日本晴れ近づいたのです、あな爽々(すがすが)し、岩戸あけたり。

 

 国土をつくり固める為に、根本大神がなぜにヌホコのみを与えたまいしか?を知らないと、岩戸開きの秘密は解けません。

 

 千引(ちびき)岩戸を開くことについて、神は今まで何も言わなかったのですが、時めぐり来て、その一端をこの神示で知らすのです、スサナルの命(みこと)のまことの御姿が分からねば次の世のことは分かりませんよ、神示(ふで)をいくら読んでも肝心要(かんじんかなめ)のことが分からないと何にもなりませんよ。

 

 

第十一帖

 

 何もかも前に前に知らせてあるのに、人民は先が見えないから、言葉のふくみが分からないから取り違いばかり、国土(くにつち)の上は国土の神が治(し)らすのです、世界の山も川も海も草木も動物虫けらも皆この方が道具に、数で作ったのです。

 

 いよいよが来ました、いよいよとは一匹一匹です、五と五です。

 

 十なのです、十一なのです、クニトコタチがクニヒロタチとなります、クニは黄です、真中です、天は青です、黄と青と和合して緑、赤と和して橙(とう)となり、青と赤と和して紫となる、天上天下地下となり六色となり六変となり六合(くに)となるのです、さらに七となり八となり白黒を加えて十となる仕組、色霊(いろたま)結構致してください。

 

 

第十二帖

 

 横の十(かみ)の動きがクラゲナスタダヨヘルであり、縦の十の動きがウマシアシカビヒコジなのです、十と十と交わり和して百となり九十九と動くのです。

 

 過去も未来も霊界にはない、「今」があるのみ、これを中今(なかいま)と言います。

 

 竜宮の乙姫殿、日の出の神殿、岩の神殿、荒(あれ)の神殿、風の神殿、雨の神殿、暗けん殿、地震の神殿、金神(こんじん)殿の九柱なり、総大将は国常立大神なり、このこと分かってくださいね、教えはなくなります、元の道が光り輝きます、これを惟神(かんながら)の道と言います。

 

 

第十三帖

 

 少しでも交じり気があったら先になって取返しがつかないことになります、今度は一厘の狂いがあってもなりません。

 

 柱になる人民もあれば屋根になる人民もあります。

 

 天の王と地の王とをゴッチャにしているから分からないことになるのです、その上にまた大王があるのですが、大王は人民には見当とれない、無きがごとき存在なのです。

 

 人民は具体的にと言うけれど、人民の言う具体的とは凝り固まった一方的なもの、一時的なその時の現われなのですよ。

 

 人民の言う絶対無、絶対空は無の始めであり、空の入口なのです、そこから無に入りなさい、空に生きなさい。

 

 いよいよの代(よ)となるのです。

 

 

第十四帖

 

 現実の事のみで処してはなりません、常に永遠の立場に立ち処理しなさいと言ってありましょう、生きることは死に向かって進むこと、マコトに生きる大道に目覚めてくださいな、神示を始めから読めば何事もありやかですよ。

 

 奥山はあってはならない無くてはならない存在なのです。善人の住むところ、悪人の休む処(ところ)と言ってありましょう、奥山は神、幽、現の三界と通じるところ。

 

 八尋(やひろ)殿の左と右に宮が建つ、奥にも一つ。

『日月神示 さいとうけんいち訳』について

 皆さん、どうも、初めまして。この[日月神示 さいとうけんいち訳]の作者の齋藤健一と申します。

 

 さて、なぜ、私はこのブログを開始しようと思ったのか?それは、グーグルアドセンスの広告を貼ってお金を儲けたい!という魂胆も勿論ありますが、それ以外の理由として、[日月神示は堅苦しい文章で難解だ!]という思いがあったからでした。

 

 日月神示について知らない人は、[日月神示]というキーワードで検索すれば、ズラッと日月神示に関して詳しく書かれたサイトが沢山出てきます。勿論、ウィキペディアにも詳細な情報が掲載されています。なので、私がここで詳細な情報を書き記すのは省かせて頂きます。

 

 なので、ここでは、私が日月神示に興味を持った経緯をお話ししたいと思います。

 

 私は二十代前半より、スピリチュアリズムの本を読んできました。そして、スピリチュアリズムに関するサイトを制作してきました。最初のサイトは既にありませんが、今は、二つ目のサイト[死にたい自殺サイト自殺方法自殺ダメ]というサイトがあります。この中に、スピリチュアリズムに関して詳しく書かれています。

 

 スピリチュアリズムとは、簡単に言えば、霊的な知識のことです。それは、死後の世界の知識とか、生きる意味に関しての知識のことです。

 

 タイトルに[死にたい]とか[自殺サイト]とか[自殺方法]とか書かれていますが、これは、私が自殺防止にスピリチュアリズムの知識を活用しようとした結果、タイトルに自殺志願者が検索しそうな言葉を入れれば自然とこの自殺防止サイトに誘導可能なのではないか?と思って、タイトルにそういった言葉を含めました。

 

 まあ、結果としては、今現在の検索システムでは、そのような小手先の細工は通用しなくなっているので、意味は無くなっているのですが。なので、代わりに、ワードプレスにて自殺防止サイトを多数制作し、そちらから、この[死にたい自殺サイト自殺方法自殺ダメ]に誘導するという形で営業しています。

 

 それで、日月神示に出会ったのは、時期はもう忘れましたが、たしかインターネットの記事で、[日本に将来訪れる大災厄があり、その内容が日月神示に書かれている!]みたいな記事を読んで、それから興味を持ったのでした。

 

 それで、思い切って、日月神示の本を購入しました。[完訳 日月神示]というもので、株式会社ヒカルランドが発行所で、著者は岡本天明、校訂は中矢伸一の本です。上巻と下巻に分かれているものです。

 

 それで、読んでみたのですが、中々に難しい。中身の難しさは勿論ですが、言葉遣いが、[~ならんぞ]とか[~あるのぢゃ]とかなので、文章から受ける印象も堅苦しいのです。勿論、神様からの伝言なので、威厳がある方がよろしいのですが。

 

 しかし、これでは、小学生とか中学生とか、あまり学がない大人とかは、とっつきにくいと思いました。なので、文章を平易にした方が良いと思いました。

 

 だから、私、齋藤健一が、優しい文体に変更しようと思いました。具体的には、[~です]とか[~してくださいね]とかの、優しい口調というか、文体に致しました。それ以外は、あまり手を加えていません。まあ、ちょっとは手を加えた箇所もありますが。思いっきり文章の意味が変化するような手の加え方はしていません。あくまでも、読者が読み易いように、文章を理解し易いようにしただけです。

 

 あとは、〇の中にレ点みたいな文字が入っている記号とか色々ありますが、それらは意味不明です。なので、それらは、単に[神]とか、そのまま〇と表記しました。

 

 まあ、そんな感じで、この齋藤健一は、日月神示を優しく改造しました。繰り返しますが、広告収益も見込んで、この努力を致したのです。

 

 「神からの託宣である神聖なる日月神示という書物に、金儲け目的の広告を貼り付けるとは何事か!」と怒鳴る人、怒り心頭の人もいるかもしれません。

 

 しかし、日月神示には、こう書かれています。

 

 日月神示 下巻 五十黙示録 補巻 月光の巻 第二十三帖(八一〇)の途中から

 

 [金が好きなら金を拝んでもよいのぢゃ。区別と順序さえ心得て居れば何様を拝んでもよいぞ。金を拝めば金が流れてくるぞ。金を拝み得ぬ意固地さが、そなたを貧しくしたのぢゃ。赤貧は自慢にならん。無神論も自慢にならん。清貧は負け惜しみ、清富になれよと申してあろうが。清富こそ弥栄の道、神の道、大〇〇〇大神(オオヒツキクニオオカミ)のマコトの大道ぞ]

 

 と書かれています。だから、私は、日月神示の文章を用いて、お金儲けをさせて頂きます。どれだけ広告収益が上がるかは不明だし、どれだけの集客を集められるかも不明です。しかし、私は、この事業をやり遂げたい!と思っています。

 

 日月神示を直接書いた岡本天明さんにも、この株式会社ヒカルランド発行の日月神示の校訂をなさった中矢伸一さんにも、それぞれ大きな使命があったことは明白です。その他、日月神示に関わった全ての人達にも、それなりの使命があったことでしょう。

 

 それで、この私、齋藤健一にも、使命はあると思うのです。その使命とは、日月神示を優しい文体にして、出来るだけ多くの[今まで日月神示に触れられなかった人]に、日月神示を触れさせることだと思います。

 

 また、私は自殺防止サイトも運営していますので、自殺志願者に日月神示を触れさせれば、その内の何パーセントかの人は、日月神示のお陰で死のうとしなくなるかもしれません。

 

 だから、あなたの短絡的な視点でもって、物事を判断しないで頂きたい。私はお金が欲しいのです。そして、日月神示の内容にも、まだ知らない人達に触れて頂きたいのです。

 

 日月神示にも、[皆が善だと思っていることであっても悪であることがあり、皆が悪であると思っていることであっても善であることがある]みたいな文章が、どこかに書かれていたように記憶しています。

 

 なので、日月神示を私が勝手に平易な文章に訳したとしても、そしてそこに大量のグーグルアドセンスの広告を貼り付けたとしても、それに関して一々怒らないで頂きたい。

 

 すべては神の御意志のままに。

 

 

 また、日月神示は、岡本天明の手を借りて書かれた時点で、記号とか数字とか素人には意味不明な文字とかで構成されており、超難解な文章だったのです。文章というよりも、素人の私が見たら、それは単なる殴り書きの落書きのようなものでした。それを岡本天明氏は勿論のこと、その他の神道の知識に精通した人達が協力し合って、必死になって訳されました。

 

 それでも、分からない箇所や欠落した箇所はあるそうです。また、発表を禁じられている巻もあるそうです。なので、それらの部分は私個人としてはどうしようもないです。私はあくまでも、この【完訳 日月神示】に書かれた文章を平易な文章に翻訳する作業をしているだけなのですから。

 

 また、[五十黙示録(いせもくじろく)]に関しては、【第一巻 扶桑(ふそう)之巻】、【第二巻 碧玉(あおたま)之巻】、【第三巻 星座之巻】、【第四巻 龍音(りゅうおん)之巻】、【第五巻 極(きわ)め之巻】、【第六巻 至恩(しおん)之巻】、【第七巻 五葉(ごよう)之巻】、【補巻 紫金(しきん)之巻】、【日月神示 補巻 月光の巻】があるようです。

 

 でも、未だに発表できない帖が、かなり多くあるようです。あとは、【第三巻 星座之巻 第二十四帖】は、未発表の為、欠帖となっているとのことです。

 

 まあ、その辺のことは、ウィキペディアに詳述されていますので、そちらをご覧ください。

 

 一応、【完訳 日月神示】の241頁に書かれていた[訳者から]というタイトルの短文を、そのまま掲載しておきます。

 

 

 訳者から

 

 この黙示は七巻で終わりますが発表できない「帖」が、かなり多くあります。

 

 この黙示七巻と、従来発表されている三十巻を合わせて三十七巻となりますが、実は発表を禁じられている「巻」が十三巻もあり、合わせて五十巻となるわけであります(発表されているが書記されていません)。

 

 これらの未発表のものは、或る時期が来れば発表を許されるものか、許されないものか、現在の所では不明であります。

 

 尚、この黙示が二十四巻から三十巻に至る根幹であり、先に発表した七巻(黄金の巻以下のもの)は、二十三巻の所から出た枝のようなものであります。

 

 また、第三巻の第二十四帖は未発表のため、欠帖となっております。

 

 昭和三十六年 於 北伊勢  岡本天明

 

 

 

 あと、原文の【完訳 日月神示】の<お読みになる前に>の注意書きには、こう書かれていました。

 

 以下、原文を抜粋

 

 

 ※神示の原文には、「〇(〇の中に記号のようなものが入った文字?か記号?『入力不可能なので、この文章は齋藤健一がつけ足した』)」が頻出する。

 

 これは、「神」「ひつく」「ス」「ヒ」など、文脈に応じて読み方が異なるが、普通は「神」と訳されることがほとんどなので、とくにルビのない限りは「神」と読んで頂いて差支えはない。

 

 ただ、原文において「神」は「か三」などと表記される場合もあるので、一概に「神」=「〇(丸の中に記号)」とも言えないようである。「〇(〇の中に記号)」あるいは「か三」という表記は、いかなる「神」を意味するかによって微妙に使い分けられているとも考えられる。

 

と書かれていました。でも、私はあくまでも平易な文章を目指しているので、前述の通り、この記号が出て来ても、単純に[神]とか、そのまま〇とか表記しています。

 

 あとは、こういったことも書かれていました。

 

 以下、原文を抜粋

 

 ※本文中に、( )でくくられている文節がある。これは、一般に出回っている『改訂版 ひふみ神示』などの全巻本には記載されているものの、原文を収録した『原典・日月神示』には見られない部分である。単に写し漏れが原因で欠落しているものと思われるが、とりあえず括弧付けで入れておいた。

 

と書かれていました。( )で括られている文節がどこにあるのかは、まだ翻訳をし始めたばかりなので、その個所は不明ですが、( )でくくられた文節が出てきたら、そういうことですので、ご了承ください。

 

 また、こういったことも書かれていました。

 

 以下、原文を抜粋

 

 ※本文中、( )とともに「?」がついている箇所が数か所ある。これはどう表記すべきか不明な部分で、原文を写し取る時に間違えたものか、原文そのものに誤りがあるのか、現時点では分からず、正確な訳が確定できないので、あえて付けさせて頂いた。文中にあると少し読みづらくなると思うが、ご了承願いたい。

 

と書かれていました。この箇所がどこかは、まだ訳を始めたばかりなので不明ですが、この箇所が出てきたら、そういうことですので、ご理解ください。

 

 まあ、思い切って、皆さんも、この[完訳 日月神示]を購入してください。値段は6050円です。近所の書店から注文するか、ネット書店で注文しましょう。

 

 6050円というと、一般庶民には高い買い物だと思います。しかし、それだけの価値はあると思います。

 

 とにかく、物騒なことを言いますが、日月神示の中で言及されている【世の立て替え】という仕組みは、あともう直ぐで発生すると思います。

 

 時期としては、私は、2041年か2042年頃だと思います。今は2019年の年末なので、まあ、あと、20年程度ですね。

 

 自然災害にしても、地球温暖化が進んでおり、日本近海でまともな漁獲高が取れなくなってきたり、毎年のように酷暑であり、超大型台風も毎年襲来してきます。

 

 それに、超大型大地震も、もう直ぐ発生すると思います。それに伴い、超大型の津波も発生するでしょうし、富士山も含めた大噴火も必ず発生するでしょう。

 

 あと、世界情勢も、人類が未体験の何十億人もが死ぬ大戦争に向かっていると思います。核爆弾による抑止力が平和に貢献しているとか言うバカな人がいますけど、ロシアを見ても分かる通り、そんなものは幻でしょう。

 

 ロシアはどんどん核戦力を旧来の核ミサイルから、最新鋭且つ大破壊力の核兵器に切り替えています。サタン2とかいう超大型の核ミサイルは、たった一発でフランスの国土を焦土にすることが可能らしいし、ポセイドンという超大型核魚雷は、敵国の近海の海中で核爆発を起こすことにより、人工的に超大型の津波を起こし、沿岸部の都市を壊滅させるそうです。

 

 私の手元にはマシンガンはありません。なので、私がもしもマシンガンを乱射しようと思っても、使い方も分からないし、そもそも、手元にないので、不可能です。だから、私がマシンガンを乱射して大勢殺すことは有り得ません。

 

 でも、ロシアとか中国とかは、核兵器をどんどん新型に切り替えています。勿論、同盟国だからあまり悪い事は言えませんが、アメリカも同様です。実際に世界を滅ぼすことが可能なだけの核戦力を保有しているのです。実際に何十億人も殺害可能な兵器を所持しているということは、それらが実戦で発射される可能性があるということです。

 

 通常の軍事力に関しても、どんどん中国は南シナ海とか東シナ海に進出していますし、アフリカとかアジアの発展途上国を借金漬けにして、返済不可能ならばその国の港を軍港として使用するなど、傍若無人な振る舞いをし続けています。

 

 ロシアも、ウクライナの領土であるクリミア半島を、卑怯な手段で奪いました。かつて日本から千島列島と南樺太を盗んだように。第二次世界大戦末期、まだ日ソ不可侵条約の期限内だったにも関わらず、約束を破り進軍して来て、南樺太や満州や千島列島に住んでいた日本人に残虐な振る舞いをして土地を奪いました。

 

 これからロシアと中国は軍事同盟を結ぶらしいです。もう既に、そのような状況になっているそうです。中国は相変わらず、元々中国ではなかった土地であるチベットやウイグルの住民に対して残虐非道な振る舞いをしています。

 

 これらの国は、ハッキリ言って、[完璧に叩きのめされる]まで、その性根は治りません。ロシアの指導者がウラジーミル・プーチンから後継者に切り替わったところで、そいつも、プーチンと同等かそれ以上の残虐なことをするに決まっています。国家としてそうだからです。中国も同様です。指導者が変わっても、国が変わらない限りは、何も変わらないのです。

 

 ロシアはこれからも他国の領土を奪います。中国も他国の領土・領海を奪うでしょう。何がきっかけになるかは分かりませんが、世界の終末に向けて、世界は動いています。

 

 ちょっとしたことで、戦争は起きるでしょう。今はギリギリの線で思い止まっているだけで、一歩ボタンを掛け違えれば、大国同士で殺し合いを始めるでしょう。ロシアも中国もアメリカも『プライド』があるからです。自国の誇りを傷付けられたと感じたら、即、軍事力を行使するでしょう。

 

 丁度、かつての日本が、勝てもしないのに、プライドから対米開戦に舵を切り、破滅したように。冷静に考えれば満州を捨てて引き下がる方が、完膚なきまでに叩きのめされるより、よほどマシでしたが、プライドがそうさせなかったのです。それは国家の誇りとでも言いましょうか。ただ、それは、言い方を変えれば、『地面に張り付いたガムの残骸の如き邪魔なもの』ですが。

 

 日月神示を書いた人は岡本天明です。まあ、その文章を考えて記述したのは、岡本天明の腕を操作した日本の神様ですが。それで、もう一人、出口王仁三郎(おにざぶろう)という人物も、霊的な文章を多数残した日本の偉人です。

 

 それで、出口王仁三郎も、預言を残しています。予言というのは、その人が未来を予測したものですが、預言というのは、神託を告げるものです。なので、出口王仁三郎の残した文章も、岡本天明が残した文章と同様、神からの託宣です。

 

 その中で、世の立て替えにより世界の人民は三分の一になるとか、日本には北から外国の軍隊が攻め込んでくるとか、日本には核攻撃もあり、最終的に日本人の人口は3500万人になるとか、色々と恐い言葉を残しています。ちなみに、これらは第二次世界大戦末期の日本のことではなく、これからの日本に関する預言です。

 

 その時になっていくら金を積んでも、もう神様は自分勝手に生きてきた慢心だらけの人間は助けないとか、まあ、日月神示に書かれている内容と酷似していることを言っています。まあ、それも当然で、どうやら同じ神様が、最初に出口王仁三郎におりて、その後に岡本天明におりたようです。

 

 まあ、だから、日月神示の内容というのは、大峠と呼ばれる、この世が始まって以来、人類が未体験の、未曽有の大災厄が起きる前に、一人でも多くの人に、改心して、大峠を生き延びられるような心の持ち主になってくれよ、というメッセージです。

 

 かくいう私自身は、心が清いかと言えば、けっして清いばかりの心ではありません。邪悪な部分も勿論あります。でも、なんか、強制的に、神様に、ぎゅうぎゅうと改心する方向に向かわせられているような気がします。なので、少しずつですが、大峠を生き延びられる人物に生まれ変わっているような、そんな気がします。

 

 だから、私は本気で、世界の大災厄が起きると思っています。まずは日本で、次に世界中で。日本は世界の雛形ですから、まずは日本で災害・戦争が起きて、大勢が死ぬと思っています。だって、そう書かれているのですから。

 

 でも、破壊というのは、悲劇ばかりを生むのではなく、全く新しい芽を出す機会にもなるのです。そのキッカケが外国の軍隊による日本国の蹂躙だとしても、割と直ぐに、多分一年後位に、日本の神様が、富士山を大噴火させて、その外国の軍勢を壊滅させて追い払うと預言されているので、その点は、楽しみでもあります。

 

 まあ、私はちっぽけな存在なので、世の立て替え自体をどうにかすることは出来ません。全ては神の御意志のままに。

日月神示 月光の巻 第一帖(七八八)から第九帖(七九六)

五十黙示録 補巻

 

月光の巻(全六十二帖)

 

自 昭和三十三年十二月二十五日

至 昭和三十四年三月二日

 

 

第一帖(七八八)

 

 成り成りて成り余れるところもて、成り成りて成り合わざるところを塞ぎて、国生みしなければなりません。

 

 この世の国生みは一つ面でしなければなりません。陰陽和合(ミトノマグワイ)でなくてはならないのに、面を一つにしていないではないですか。

 

 それでは今度のことは成就しないのです。

 

 

第二帖(七八九)

 

  奇数と奇数を合わせても、偶数、偶数と偶数を合わせても偶数であることを忘れてはなりませんよ。

 

 奇数と偶数を合わせて初めて、新しい奇数が生まれるのですから。今度の岩戸開きには蛭子(ひるこ)を生んではなりません。淡島(あわしま)を生んではなりません。

 

 

第三帖(七九〇)

 

 今度は、八の隈手(くま)は足りません。十の隈(くま)、十の神を生まなければなりません。

 

 その他に、隠れた二つの神、二つの隈(くま)を生んで、育てなければならないことになります。

 

 

第四帖(七九一)

 

 天御中主之神(アメノミナカヌシノカミ)のその前に、天譲日天狭霧尊(アメユズルヒアメノサギリノミコト)、地譲月地狭霧尊(クニユズルツキクニノサギリノミコト)があります。

 

 神の神の神です。その前に神あることを忘れないでください。

 

 

第五帖(七九二)

 

  十種(とくさ)、十二種の神宝(かむたから)、沖津鏡(おきつかがみ)、辺津(へつ)鏡、八握剣(やつかのつるぎ)、九握(こつかの)剣、十握(とつかの)剣、生玉(いくたま)、死返(まかるかえしの)玉、足(たる)玉、道返(ちかえしの)玉、蛇比礼(おろちのひれ)、蜂(はちの)比礼、品々(くさぐさの)比礼です。

 

 ム、一(ひと)、二(ふた)、三(み)、四(よ)、五(いつ)、六(む)、七(なな)、八(や)、九(ここ)、十(たり)、ウ、です。

 

 ウ、十(たり)、九(ここ)、八(や)、七(なな)、六(む)、五(いつ)、四(よ)、三(み)、二(ふた)、一(ひと)、ム、です。

 

 唱えなさい。宣(の)り上げなさい。

 

 

第六帖(七九三)

 

  天照大神(あまてらすおほかみ)は、高天ノ原(たかあまのはら)をしらすべし。また、高天ノ原をしらすべし。また高天原(たかあまはら)をしらすべし、月読大神(つきよみのおほかみ)は、天照大神とともに、天(あめ)のことをしらすべし。

 

 また、あお海原(うなはら)、汐(しほ)の八百会(やほへ)をしらすべし。また、夜の食(お)す国をしらすべし。

 

 スサナオの大神は、あお海之原(うなのはら)をしらすべし、また、あお海原(うなはら)をしらすべし。また、天(あめ)ヶ下(した)をしらすべし。

 

 

第七帖(七九四)

 

  大奥山は神人交流の道の場です。道は口で説くものではありません。行動するものです。教えは説かねばなりません。

 

 多数決が悪多数決となるわけがなぜ分からないのですか。投票で代表を出すとほとんどが悪人か狂人です。

 

 世界が狂い、悪となり、人民も同様になっていますから、その人民の多くが選べば選ぶほど、ますます混乱してくるのです。

 

  それより他に人民の得心出来る道はないと言っていますが、道はいくらでもあります。人民の言っているのは平面の道、平面のみでは乱れるばかり、立体に綾(あや)なせば弥栄えて真実の道が分かります。

 

 しかし独裁ではいけません。結果から見れば神裁です。神裁とは神人交流によることです。(十二月二十五日)

 

 神は嘘つきだと人民が言っても、悪い予言は嘘にしたいので日夜の苦労、堪(こら)えられるだけ堪えているのです。

 

 もう、モノばかりでは治まらないのです。金では治まらないのです、平面のみでは駄目であること、よく分かっているのに兜を脱げない神々様よ、気の毒が来ない前に改心するのは結構なことです。

 

 遠くからでは分からないし、近付くと迷うし、理屈を捨てて神に惚れ参らせてください。よくこの神を騙してくれたものです、この神が騙せされたればこそ、太神の目的が成ってくるのです。細工はりゅうりゅう仕上げて見てください。

 

 区別すると力が出ます、同じであってはなりません。平等でなくてはなりませんが、区別のない平等は悪平等です。

 

 天に向かって石を投げるようなことは、早く止めないといけません。霊かかりも止めてくださいな。

 

 人民が絶対無と言っているところも、絶対無ではありません。科学を更に浄化し弥栄させねばなりません。

 

 空間、時間が霊界にないのではありません。その標準が異なるから無いと考えてよいのです。

 

 奥山は奥山と言ってありましょう。いろいろな団体を作ってもよいですが、いずれも分かれ出た集団、一つにしてはなりません。奥山は有りて無きもの、無くて有る存在なのです。

 

 奥山と他のものとをまぜこぜにすることは決してしてはいけません。大きな一つではありますが別々なのです。

 

 今までになかった奥山のあり方、分からないのも無理はありませんが、これが分からないとこの度の大神業は、けっして分からないでしょう。

 

 

第八帖(七九五)

 

  神の御用は、神のミコトのままでなくては成就しません。皆々釈迦です、キリストです。もっと大きな計画を持ちなさい。着手は出来るところからしなさい。つかめるところから神をつかみなさい。部分から作り上げなさい。

 

 我を出してはなりません。あなたはそれでいつもしくじっているではありませんか。天狗ではいけません。

 

 心が出来たら足場を固めないといけません。神の足場は人です。三千の足場、五千の足場。

 

 

第九帖(七九六)

 

 気の合う者のみの和は和ではありません。色とりどりの組み合わせ、練り合わせこそが花が咲くのです。

 

 すべてが神の子なのです。大神の中で弥栄なのです。大きな心、広い心、長い心は結構です。

 

 なかなかに合わないと言いますが、一つの家族ではありませんか。心得なさい。

 

 夫婦喧嘩はしないように。夫のみがいけないのではありません。妻のみが悪いのではありません。お互いに自分の姿を出し合っているのです。よく会得しなさい。

 

 分からないことが更に分からなくなります。聞きたいことは何でも聞きなさい。大グレ目の前。阿呆になりなさい。

 

 ひとまずは月の代となります。ひっくり返り、ビックリです。

日月神示 月光の巻 第十帖(七九七)から第十八帖(八〇五)

第十帖(七九七)

 

 一はいくら集めても一です。二も三も四も五も同様です。神にかえり、神によって結ばれるのです。

 

 神がムスビなのです。弥栄です。喜びです。

 

 

第十一帖(七九八)

 

 病むことは神から白紙の手紙を頂いたのですと知らせてありましょう。心して読んでください。ありがたき神からの手紙です。おろそかにしてはなりません。

 

 腹八分、二分はまず捧げなさい。運が開けます。病も治ります。

 

 

第十二帖(七九九)

 

 逃げ道を作ってから追わねばなりません。あなたは相手の逃げ道を塞いでギュウギュウ追い詰めるから逆恨みされるのです。逆恨みでも恨みは恨みの霊団を作り出します。

 

 悪を抱きなさい。消化しなさい。浄化しなさい。何もかも太神の許し給えるものであるが故に存在するのです。

 

 あなたは神に凝り固まっています。凝り固まると動きの取れないことになります。一度あなたの持つ神を捨て去るとよいのです。捨てるとつかめます。

 

 

第十三帖(八〇〇)

 

 木にも竹にも石にも道具にもそれぞれの霊が宿っているのです。人間や動物ばかりでなく、すべてのものに宿っているのです。

 

 宿っているというよりは、霊と体とで一つのものが出来上がっているのです。

 

 一枚の紙の裏表のようなものです。表ばかりのものもない、裏ばかりのものもない道理です。

 

 数学にも文字にもそれぞれの霊が宿っており、それぞれの能(はたらき)をしているのです。順序が分かれば初段、和に徹すれば名人です。

 

 

第十四帖(八〇一)

 

 流れ出たものはまた元に還ると言っても、そのままでは還られないのです。天から降った雨がまた天に昇るには、形を変えるでしょうけど、この道理をわきまえないと、悪かみかかりとなります。

 

 それはあなたの自己欲から出ているのです。自己欲もなくてはなりませんが、だんだん浄化して行かねばなりません。

 

 浄化して大きい自己の欲としなさい。自分のみの欲となるから弥栄しないのです。弥栄しないものは神の御心に逆行します。

 

 自分で判断出来ることをなぜ聞くのですか。神に聞けば神に責任を着せるのと同様です。人間の悪いクセです。出直しなさい。

 

 

第十五条(八〇二)

 

 与えることは頂くことですと言っても、度を過ぎてはなりません。過ぎると、過ぎるものが生まれて、生んだあなたに迫って来ますから。

 

 

第十六条(八〇三)

 

 五十九柱と言ってありますが、その中の九柱は隠れた柱です。ヤイユエヨワ〇エヲです。一二三四五六七八九です。

 

 この柱は〇です。心得なさい。現われの五十柱の陰の、隠れた九柱、心して大切にしてください。

 

 真っ直ぐに真上に神を戴(いただ)くと言うことは、上ばかりではありません。真下にも横にも前後にも、立体三六〇度に真っ直ぐに神を戴かねばならないということです。

 

 神人交流の第一歩。

 

 

第十七条(八〇四)

 

 あなたの仕事、思い付き結構ですが、神の御意志を頂かねば成就はしません。

 

 神と言っても、あなたが勝手に決めた神や宗教で固めた制限された神ではありません。

 

 分かっただけでは駄目です。行動しなければなりません。生活しなければなりません。芸術しなければなりません。

 

 

第十八条(八〇五)

 

 現実的には不合理であっても、不合理にならない道を開くのが、霊現交流の道であり、立体弥栄の道、行き詰まりのない道、新しき世界への道なのです。

 

 平面のみではどうにもならない時となっているのに、何をしているのですか。黒船にビックリしては間に合いません。

日月神示 月光の巻 第十九帖(八〇六)から第二十七帖(八一四)

第十九帖(八〇六)

 

 釈迦、キリスト、マホメット、その他世界の生命ある教祖及びその指導神を、御光(みひかり)の大神様と讃(たた)えまつれと言ってありましょう。

 

 大神様の一つの現れですと言ってありましょう。

 

 なぜ御光の大神様として斎(いき)つ祀(まつ)らないのですか。なぜ宗教しないのですか。

 

 だから、そこにひかり教会としての力が出ないのです。人民の浮き瀬の悩みを救うのはオホカムツミの神様です。この能(はたらき)の神名を忘れてはなりませんよ。

 

 この方はオホカムツミの神とも現れますと知らせてあることを忘れたのですか。

 

 

第二十帖(八〇七)

 

 大奥山と教会とをまぜこぜにしてはなりません。教会やその他の集団は現れ、大奥山は隠れるのです。

 

 大奥山はこの度の大御神業に縁(ゆかり)のある神と人とを引き寄せて練り直し、御用に使う仕組みです。

 

 見ていなさい、人民には見当とれないことになりますから。

 

 

第二十一帖(八〇八)

 

 大奥山から流れ出た宗教の団体は、ひかり教会のみではありません。いくらでもあります。出てきます。

 

 故に、大奥山に集った者が皆ひかり教会員ではありません。それぞれのミタマの因縁によっていろいろな集団に属しています。

 

 この点をよく心得てください。大奥山は有りて無き存在、人間の頭で消化されるような小さな経綸(しくみ)ではないのです。

 

 大奥山だけに関係を持つ人もいます。囚われてはなりません。三千世界を一つに丸めるのがこの度の大神業なのですから。

 

 世界一家は目の前、分からない者は邪魔せずに見物していなさい。神の経綸は間違いがないのです。

 

 

第二十二帖(八〇九)

 

産土様によくお願いしなさい。忘れてはなりませんよ。宗教に凝り固まって忘れている人が多いのです。

 

 他の神を拝んではいけないという、あなたの信仰はそれだけのもの、早く卒業するのがよろしい。

 

 

第二十三帖(八一〇)

 

 他の宗教に走ってはならないという宗教も、それだけのもの。分からないと言ってもあまりです。

 

 同じ所に天国もあり、地獄もあり、霊界もあり、現実界もあり、過去も未来も中今(なかいま)にあるのです。

 

 同じ部屋に他の神や仏を祀ってはならないと言う一方的な盲目的な宗教には盲目的な人が集まるのです。

 

 病気が治ったり運が開けたり、奇跡が起こったりすることだけをおかげと思ってはなりません。

 

 もうちょっと大きな心で、深い愛と真の世界を拝んでください。融(と)け入りなさい。

 

 浄化が第一です。

 

 金が好きなら金を拝んでもよいのです。区別と順序さえ心得ていれば、何様を拝んでもよいのです。金を拝めば金が流れてきます。

 

 金を拝み得ぬ意固地さが、あなたを貧しくしたのです。赤貧は自慢にはなりません。無神論も自慢にはなりません。

 

 清貧は負け惜しみ、清富になりなさいと言ってありましょうが。清富こそ弥栄の道、神の道、オオヒツキクニオオカミのマコトの大道です。

 

 

第二十四条(八一一)

 

 怒ってはなりません。急いではなりません。怒ると怒りの霊界との霊線が繋がり、思わぬ怒りが湧いてモノを壊してしまいます。

 

 太神の経綸(しくみ)に狂いはありません。皆々安心してついてきてください。

 

 

第二十五条(八一二)

 

 食物は科学的栄養のみに囚われてはなりません。霊の栄養が大切です。

 

 自分と自分と和合しなさいと言ってありますが、肉体の自分と魂の自分との和合が出来れば、もう一段奥の魂と和合しなさい。更にまた奥の自分と和合しなさい。一番奥の自分は神なのです。

 

 高い心境に入れば、神を拝む形式は無くてもよいのです。為すこと、心に浮かぶこと、それ自体が礼拝となるからです。

 

 山も自分、川も自分、野も自分、海も自分なのです。草木動物ことごとく自分なのです、歓喜なのです。

 

 その自分が出来たら天を自分としなさい。天を自分にするとはムにすることです。神に化すことです。ウとムと組み組みて新しいムとすることです。

 

 

第二十六条(八一三)

 

 現状を足場として進まねばなりません。現在のあなたの置かれていた環境は、あなたが作り上げたものではありませんか。

 

 山の彼方に理想郷があるのではありません。あなたはあなたの足場から出発しなければならないのです。

 

 よしそれが地獄に見えようとも、現在においてはそれが出発点です。それより他に道はありません。十二月三十一日。

 

 

第二十七条(八一四)

 

 祓(はら)いは結構ですが、厄払いのみでは結構とはなりません。それはちょうど、悪を無くせば善のみの地上天国が来ると思って、悪を無くすことに努力した結果、今日の大混乱を来したのと同じなのです。

 

 よく考えてください。善と言うも悪と言うも、皆ことごとく大神の肚(はら)の中なのです。大神が許し給えばこそ存在しているのです。この道理をよく会得してください。

 

 祓うというのは無くすことではありません。調和することです。和して弥栄することです。

日月神示 月光の巻 第二十八帖(八一五)から第三十六帖(八二三)

第二十八帖(八一五)

 

 厄も祓(はら)わねばなりませんが、福も祓わねばなりません。福祓いせよと言ってありましょう。厄のみでは祓いになりません。福のみでも祓いになりません。

 

 厄祓いのみしたから今日の乱れた世相となっているのです。この分かり切った道理がなぜ分からないのですか。

 

 悪を抱き参らせてください。善も抱き参らせてください。抱くには神にならないといけません。

 

 

第二十九帖(八一六)

 

 モトを正さねばなりません。間に合わないことになりますよ。心の改心をすれば、どんなおかげでもとらせます。ガイコクは火の海になります。世界一度に改心。

 

 

第三十帖(八一七)

 

 心の入れ替えをしなさいということは、新しい神界との霊線を繋ぐことです。あなたは我が強いから、我の強い霊界との交流がだんだんと強くなり、我の虫が生まれてきます。

 

 我の病になってきます。その病気は自分では分かりません。訳の分からない虫が湧きます。訳の分からない病気が流行りますと言ってありますが、そのことなのです。

 

 肉体の病気ばかりではありません。心の病気も激しくなっているから気をつけてください。人々にもそのことを知らせて、共に栄えてくださいね。

 

 この病気を治すには、今日までの教えでは治りません。病を殺してしまって、病を無くそうとしても病は無くなりません。

 

 病を浄化しなければなりません。悪を殺すという教えや、やり方ではいけないのです。悪を抱き参らせてください。

 

 

第三十一帖(八一八)

 

 足の裏を綺麗に掃除なさい。外から見えない所が穢(けが)れています。日本の国よ、あなたも同様、世界よ、あなたも同様です。

 

 出雲の神の社(やしろ)をかえて竜宮の乙姫様のお社を陸(おか)に作らねば、これからの世は身動き取れないことになります。

 

 一切が自分であるということは例えではありません。あなたは、食物は自分ではないと思っていますが、食べるとすぐに自分となるではないですか。

 

 空気も同様、水も同様なのです。火も同様、大空もあなたです。山も川も野も海も、植物も動物も同様です。人間は横の自分です。神は縦の自分です。

 

 自分を見極めないといけません。自分をおろそかにしてはなりません。一切を受け入れなければなりません。一切に向かって感謝しなければなりませんと言ってありましょう。三十一年一月三日。

 

 

第三十二帖(八一九)

 

  世界連邦と言っていますが、地上世界のみの連邦では成就しません。片輪の車で、いつまでたってもドンテンドンテン。心してください。なぜ霊界、神界をひっくるめた三千世界連邦としないのですか。

 

 不要な苦労はしないように。

 

 

第三十三帖(八二〇)

 

  マコトから出たことは誰の願いも同様です。心配せずにドシドシと進めてくださいな。もし行き詰まったら省みなさい。

 

 行き詰まった時は大きく開ける時なのですから。但し、人心で急ぐのは駄目です。急ぐと道が見えなくなってきますから。

 

 あなたの考えていることは自己中心ではありませんか。我(わ)れ善しの小さい我れ善しではいけません。大きな我れ善しは結構です。

 

 犠牲になることを尊いことだと言っていますが、犠牲に倒れてはなりません。自分を生かす為に他を殺すのもいけません。自分を殺して他を生かすのもいけません。

 

 大きい虫を生かすため、小さい虫を殺すことは止むを得ないことですと言ったり、教えたりしていますが、それもいけません。

 

 すべてを殺さずに皆が栄える道があるではないですか。なぜ神示を読まないのですか。

 

 

第三十四帖(八二一)

 

  かみかかりは止しなされよ。あなたは学に囚われています。科学を越えて神の学に生きてくださいね。

 

 あなたは自分で自分の首を絞めるようなことをしているのです。自分で勝手に小さい自分の神を作っているのです。

 

 一度その神を捨てなさい、固く抱きしめたり、閉じ込めているから分からないことに行き詰まるのです。分かりましたか。

 

 我と分からない我を気をつけてください、今一息というところなのですから。

 

 

第三十五帖(八二二)

 

  化け物に化かされないように。おかげを落とさないようにしてください。よいことを言って、よい行いをしていても、よくない人があるのです。

 

 よくないことも御用の一つではありますが、あなたは未だにそれを消化するほどのところまでは行っておりませんから。

 

 小学生が大学生の真似をしてはなりません。あなたはまだ欲があります。欲を、小さな自分ばかりの欲を捨てなさい。そしてまことの大深欲になりなさいな。

 

 その気持ちさえ動いて来れば、何事も見事成就しますから。

 

 

第三十六帖(八二三)

 

  行は、世界中の行、誰一人逃れるわけには行きませんよ。メグリ果たした者から嬉し嬉しになる仕組みです。

 

 あなたの心配、一応は無理もないことですが、どこで、どんなことをしていても、御魂(みたま)が磨けてさえいれば、心配はなくなります。

 

 心配は、磨けていない証拠です。あなたはモノに不足するとこぼしていますが、モノに不足するのは、心に足らないところがあるからです。

 

 心が至ればモノも至ります。何事も神の申す通りに素直になさいな。素直は結構なことです。

日月神示 月光の巻 第三十七帖(八二四)から第四十三帖(八三〇)

第三十七帖(八二四)

 

 あなたのやることはいつも時が外れています。餅をつくにはつく時がありますと知らせてありましょう。時の神を忘れてはなりません。

 

 春には春のこと、夏には夏のことがあります。あなたは御神業だと言って、他に迷惑をかけているではありませんか。そこから改めなければなりません。

 

 鼻つまみの御神業はないのです。あなたはお先真っ暗だと言っていますが、夜明けの前は暗いものです。暗い闇の後に夜明けが来ることは分かっておりましょうが、神は全てを見通していますから、直ぐのおかげは小さいのです。

 

 利子をつけた大きなおかげを結構に頂いてください。

 

 

第三十八帖(八二五)

 

 初めの喜びは食物です。次は異性です。いずれも大きな驚きでありましょう。これは和すことにより起こるのです。融け合うことにより喜びとなります。よろこびは神なのです。

 

 和さねば苦となります。かなしみとなります。まず自分と自分と和合せよと言っていましょう。そこにこそ神の御働きがあるのです。しかしこれは外の喜び、肉体の喜びです。

 

 元の喜びは霊の食物を食べることです。その大きな喜びを与えてあるのに、なぜ手を出さないのですか。その喜び、驚きをなぜ求めないのですか。なぜ神示を食べないのですか。見るばかりでは身に付きません。なぜよく噛みしめて味わって喜びとしないのですか。

 

 喜びが神なのです。

 

 次には神との交わりです。交流です。和です。そこにはかつて知らなかった驚きと大歓喜が生まれます。神との結婚による絶対の大歓喜があります。神が霊となり花婿となるのです。

 

 人民は花嫁となるのです。分かるでしょう。この花婿はいくら年を経ても花嫁を捨てはしません。永遠に続く結びなのです。結魂なのです。

 

 何ものにも比べることの出来ない驚きです。よろこびです。花婿どのが手を差し延べているのに、なぜ抱かれないのでしょうか。神は理屈では分かりません。夫婦の交わりは説明出来ないでしょう。

 

 神が分かっても交わらないと、神と融け合わなければ真理は分かりません。何という結構なことかと人民ビックリする仕組みなのです。

 

 神と交流し結婚した大歓喜は、死を越えた永遠のものなのです。消えざる火の大歓喜なのです。これがマコトの信仰、神は花嫁を求めておられます。早く神の懐に抱かれてくださいな。二月一日。

 

 

第三十九帖(八二六)

 

 何事が起ってきてもあなたはまず喜びなさい。それが苦しいことでも、悲しいことでも喜んで迎えなさい。喜ぶ心は喜びを生みます。人民が喜べば神も喜びますと言ってありましょう、天地晴れます。輝くのです。

 

 あなたは先ばかり見ていますね。足で歩くのです。足元に気をつけないといけません。あなたは自分一人で勝手に苦しんでおりますけど、皆が仲良く相談なさりなさい。相談は結構です。相談して悪いことは気をつけ合って進んでください。

 

 

第四十帖(八二七)

 

 分からないことは神示に聞くがよろしい。遠慮はいりません。あなたは一足飛びに二階に上がりたい気持ちが抜けませんね。何事も一段ずつ、一歩ずつ進まねばなりません。それより他に進み方はないのですから。

 

 まずあなたの中にいるケダモノを言向(ことむ)け合わさねばなりません。よく話し、教え、導かねばなりません。獣を人間と同じようにしようとしてはなりません。獣は獣として導かねばなりません。

 

 金は金。鉛は鉛なのです。鉛を金にしようとしてはなりません。鉛は鉛として磨かないといけません。浄化とはそのこと。世は七度の大変わり、いよいよの段階に入ったら、何がなんだか、自分さえ良ければよいという人民にはいよいよ分からなくなり、焦れば焦るほど深みに落ち込みます。

 

 心の窓を大きく開き、小さい我の欲望を捨てると、遠くが見えて来ます。見えたらまず自分の周囲に知らせねばなりません。知らすことにより次の道が開けてくるのです。

 

 自分だけでは嬉し嬉しとはなりません。嬉しくないものは弥栄しません。冬になれば冬ごもりです。死ぬ時には死ぬのが弥栄です。遊ぶ時は遊ぶがよいでしょう。言(こと)と、時は、その順序さえ心得ておれば、何をしても、何を話しても、何を考えてもよいのです。

 

 

第四十一帖(八二八)

 

  あなたはいつも深刻な顔をして考え込んでいますが、考え方にも幾通りもあるのです。考えは迷いと言ってあるのは、あなたのような場合です。

 

 あなたは苦に向かい苦に克(か)ったつもりで、苦を楽しんでいますが、苦は曲がることだと知らせてありましょう。苦を作り出してはなりません。苦を楽しむより、楽を楽しむ心の方が高いと知らせてありましょう。

 

 苦しむと曲がり、楽しむと伸びます。二月十日。

 

 

第四十二帖(八二九)

 

  未来にもえることが現在に生きることです。あなたは現在に生きる努力が足りません。夢ばかり追っていては泡沫(うたかた)です。あなたは先祖に対する考え方が間違っています。

 

 先祖はあなたではありませんか。地下にあるあなたの根が先祖ではありませんか。根のない草木はすぐ枯れる道理です。先祖は家を継いだ兄が祀っているから、分家した自分は先祖は祀らないでもよいと言っていますが、よく考えてください。

 

 根から芽が出て幹となり枝が栄えているのと同じことなのです。枝には根は不要と言うのと同じような間違いなのです。分家しても先祖は祀らねばなりません。先祖をおろそかにしないようにと、気をつけるように言ってありましょう。

 

 

第四十三帖(八三〇)

 

  あなたはまだ方便を使っていますが、方便の世は済んでいます。方便の教えとは横の教え、イロハの教え、平面の教えのことです。仏教もキリスト教もイスラム教もみな方便ではありませんか、教えはみな方便です。

 

 教えではどうにもなりません。ギリギリの世となっているのです。道でなくてはなりません。変わらぬ太い道でなくてはなりません、方便の世は済みほうべんの世となり、そのほうべんの世もやがて終焉を迎えると知らせてありましょう。

 

 道とは三つの世界を貫く道のことなのです。宇宙に満ち満つ神のあり方です。法則です。秩序です。神の息吹です。弥栄です。喜びです。分かりましたか。

日月神示 月光の巻 第四十四帖(八三一)から第五十帖(八三七)

第四十四帖(八三一)

 

 この道に入ると損をしたり、病気になったり、怪我をすることがよくありますが、それは大難を小難にし、またメグリが一時に出てきて、その借銭済ましをさせられているのです。

 

 借りたものは返さねばならない道理です。損もよい、病気もよいと言ってありましょうが。ここの道理もわきまえずに理屈ばかり言っていますが、そんな人民の機嫌取りをする暇はなくなったのですから、早く神心になってください。

 

 あなたは祈りが足りません。祈りと言うのは心で祈り願うことではありません。実行しないといけません。地上人はモノとしての行動をしなければなりません。口と心と行いと三つ揃わなければならないと言ってあること、忘れたのですか。

 

 

第四十五帖(八三二)

 

 マコトに祈れと言ってありましょう。マコトとは〇一二三四五六七八九十のことと言ってありましょう。

 

 ただ心で祈るばかりでは、自分で自分を騙すことになります。自分を偽ることは神を偽ることとなるのです。マコトで祈れば何事もスラリスラリと叶う結構な世の中です。

 

 

第四十六帖(八三三)

 

 考えていては何も成就しません。神界と交流し、神界に生き、神界と共に弥栄すればよいのです。人間だけの現実界だけで処理しようとするのが今までの考え方です。

 

 今までの考え方では人間の迷いがより深くなるだけと言ってありましょう。迷いを払って真実に生きなさい。御霊鎮めです。神鎮めです。

 

 あなたは信仰のあり方を知りません。長い目で見て、永遠の立場からの幸が、歓喜が、神からのおかげなのです。局部的一時的には嫌なことも起きてきます。

 

 天地を信じ、自分を知り、人を理解するところにこそマコトの弥栄があります。騙す者には騙されてやりなさい。ひとまず騙されて、騙されないように導いてください。

 

 あなたはそんな場合に我を出すからしくじるのです。騙されてやろうとするからカスが残るのです。マコトに騙される修行が大切なのです。

 

 

第四十七帖(八三四)

 

 八のつく日に気をつけなさいと言ってありましょう。八とは開くことです。物事は開く時が大切です。第一歩の前に〇歩があります。〇歩が大切です。心してください。

 

 あなたは行き詰まって苦しんでいるけれど、それは間違った道を歩んで来たからです。行き詰まりは有難いのです。省みる時を与えられたのですから。御魂磨きさえすれば何ごともハッキリとうつって、楽に行ける道がちゃんと作ってあります。

 

 その人その人に応じていかようにでも展開して行きます。犬猫でさえ楽々と栄えているではないですか。洗濯次第でどんな神徳でも与えます。二月十八日。

 

 

第四十八帖(八三五)

 

  世界中を泥の海にしなければならないところまで、それより他に道のないところまで押し迫って来たのですが、なお一理の手立てはあるのです。大神様にお詫び申してすっかり心を改めてください。

 

 神々様も人民様も心得ちがいが多いのです。泥の海となる直前にグレンとひっくり返し、ビックリの道があります。

 

 

第四十九帖(八三六)

 

  あなたの用意が足りません。日々の人間の御用を、神の御用と和すように、神の御用が人の御用、人の御用が神の御用となるのがマコトの道であり、弥栄の道であり、大歓喜なのです。

 

 いつでも神かかれるように神かかっているように、神かかっていても、我にも他にも分からぬようになってください。

 

 鍬(くわ)をとる百姓が自分を忘れ、大地を忘れ、鍬を忘れている境地が、マコトの御魂鎮めであり、神かかりなのです。

 

 そこらでなさる行も、それに至る一つの道ではありますが、それのみではなりません。気をつけ合ってよきに進んでください。あなたが歩むのです。

 

 道は自分で歩まねばなりません。他人におんぶしたり、他人が歩かしてくれるのではありません。あなたの力で、あなた自身の苦労で人を助けねばなりません。

 

 人を助ければその人は神が助けるのです。この道理、何故に分からないのですか。人を助けずに自分を助けてくれと言っても、それは無理というものです。神にも道は曲げられないのです。

 

 

第五十帖(八三七)

 

  何も難しいことを言うのではありません。自分の、内の自分を洗濯して明らかに磨けばよいのです。内にあるものを浄化すれば、外から近付くものが変わってくる道理です。

 

 内の自分を洗濯しないで、汚いものが近付くとか、世の中が暗いとか不平を言っていますが、そこにあなたの間違いがあるのです。

 

 木でも草でも中から大きくなっていくのです。三千年に一度の時がめぐり来ているのです。為せば成る時が来ているのです。為さなければ後悔します。

 

 時が過ぎてから種をまいても、くたびれもうけです。あなたは世の中が悪いとか人が良くないとか言っていますが、全ては大神の肚(はら)の中にいて、一応大神がお許しなされているからこそ存在し、生命しているのです。

 

 悪く映るのは心の鏡が曇っているからです。悪い世の中、悪い人と言うのは、神を悪く言って、神界が悪いと言うのと同じなのです。

 

 新しい世界には新しいてんし、天下をこしらえねばなりません。このことを間違えないでください。

 

珍しい御方が出て来てビックリします。ビックリしなければヒックリとはなりません。神は今まで化けに化けていましたが、もう化けてはおられません。

 

 人民ももう化けてはおられません。九分九厘までは化けて、我慢していましたが、化けの世、方便の世、方便の教えは済みました。教えでは世は正されません。

 

 教えの集いは潰れてしまいます。無理してはなりません。あなたの無理押しは良いことを悪く曲げますから。

日月神示 月光の巻 第五十一帖(八三八)から第五十四帖(八四一)

第五十一帖(八三八)

 

 世界を一つにするのですから、王は一人です。動きは二つとなりますが、二つでないと動かないのです。キはキの動き、ミはミの動き、動いて和すのです。和すから弥栄なのです。

 

 和せば一つとなるのです。キミとなるのです。あなたは自分と他との境界を作っていますが、境界を作ってはなりません。境界を作らずに、自ずからなる自他の別を生み出さねばなりません。

 

 世界一家のやり方を間違えています。それぞれの言葉はありますが、ミコトは一つと言って知らせてありましょう。

 

 大難を小難にすることは出来ますが、無くすことは出来ません。不足は不足を生みます。あなたは口を慎みなさい。あなたは一度、神を捨てなさい。神にしがみついているから、小さく囚われた、ゆとりのない神を、あなた自身が作り上げているのです。

 

 それでは、信じれば信じる程に危ないのです。大空に向かって大きく呼吸し、今までの神の概念を捨て去って、心の洗濯をしてください。神を信じつつも迷信に落ちていると言ってあること、よく心得てください。

 

 

第五十二帖(八三九)

 

 あなたはつまらないことにいつも心を残すから、つまらないことが出てくるのです。心を残すということは、霊界との繋がりがあることなのです。つまらない霊界にいつまでもくっついているのです。

 

 何事も清めてください。清めるとは和すことです。同じもの同士では和ではありません。違ったものが和すことにより新しきものが生まれるのです。奇数と偶数を合わせて、新しい奇数を生み出すのです。

 

 それがマコトの和であり清めです。善は悪と、陰は陽と和すのです。和すには同じあり方で、例えば五と五との立場で和すのですが、位においては陽が中心であり、陰が外でなければなりません。

 

 天が主であり地が従でなければなりません。男が上で女が下です、これが和の正しきあり方です。逆さまはなりません。これを公平と言います。

 

 口先ばかりで良いことを言えば悪くなります。心と行いが伴わなければなりません。分かり切ったこの道理が行われないのは、あなたを取り巻く霊の世界に幽界の力が強いからです。あなたの心の大半を幽界的なもので占めているからです。

 

 自分自身の戦はまだまだと言ってありましょう。この戦は中々ですが、正しく和して、早く弥栄結構です。

 

 あなたの持つ悪い癖を治してください。その癖を治すことが御神業です。自分で世界を立て直すような大きなことを言っていますが、あなたの癖を治すことが最も大切な御用ではありませんか。

 

 これに気が付かないと落第です。恐れてはなりません。恐れを生むからです。喜びなさい、喜びなさい、喜べばよろこびを生みます。

 

 喜びは神です。神様御自身も刻々弥栄しておられます。故にこそ生長なされます。人も同様でなくてはなりません。

 

 昨日の自分であってはなりません。今の自分です。中、今の自分に生きねばなりません。自分にどんな力があったとしても、我を出してはなりません。我を出すと力がなくなります。

 

 我を、大きな我に昇華させなさい。大我に融(と)け入らねばなりません。大我に融け入ったとしても、小我が無くなるのではありません。

 

 人を拝(おろが)みなさい。物を拝みなさい。拝むと自分の喜びとなり、拝まれたものも喜びとなります。

 

 嬉し嬉しとはそのことなのです。

 

 

第五十三帖(八四〇)

 

 これほど言葉を使い分けて言っても得心出来ないのならば、得心の行くまで思うままにやってみなさい。あなたは神の中にいるのですから、いくら暴れ回っても神の外には出られません。

 

 死んでも神の中にいるのですから。思うようにやってみて、早く得心改心してください。回心して仕事をめでたいことと仕えまつってください。

 

 結構ですね。あなたは自分は悪くないが周囲が良くないのだ、自分は正しい信仰をしているのだから、家族も知友も反対する理由はない、自分は正しいが他が正しくないのだから、正しくない方が正しい方へ従って来るべきだと言っていますが、内にあるから外から近寄るのだと言ってありましょうが。

 

 あなたは無抵抗主義が平和の基だと言って、右の頬を打たれたら左の頬を差し出していますが、それは真の無抵抗ではありません。よく聞きなさい、打たれるようなものをあなたが持っているからこそ、打たれる結果となるのです。

 

 マコトに磨けたら、マコトに相手を愛していたのならば、打たれるような雰囲気は生まれないのです。頬を打たれないでください。生まれ赤子を見なさいと知らせてありましょう。

 

 

第五十四帖(八四一)

 

 頭を下げて見なさい、流れて来ますから。頭も下げず低くならないのならば、流れては来ません。神の恵みは淡々とした水のようなものなのです。

 

 あなたは頭が高いのです。天狗なのです。その鼻を曲げて自分のにおいを嗅いでみなさい。あなたは左に傾いています。左を見なければなりませんが、片寄って歩いてはなりません。

 

 あなたは右を歩きながら、それを中道と思っていますね。あなたは平面上を行っているから、中道のつもりで、他に中を行く道はないと信じ切っていますが、それでは足りません。

 

 立体の道を早く悟りなさい。正中の大道があるのですから。左でもなく右でもなく、嬉し嬉しの道があります。左も右も上も下も相対の結果の世界なのです。

 

 原因の世界に入らねばなりません。平面より見れば相対はありますが、立体に入り、更に復立体、復々立体、立立体の世界を知らねばなりません。

 

 相対では争いなのです。戦なのです。真の世界平和は今のやり方、考え方では成就しません。三千世界和平から出発せねばなりません。

 

 あなたは神示をよく読んでいますが、それだけでは足りません。神示を肚(はら)に入れなければなりません。付け焼刃ではなりません。

 

 神示を血とし生活とすれば、何事も思う通りスラリスラリと面白いほど栄えて来ます。思うように運ばなかったら省みなさい。自分が自分に騙されて、自分の為のみに為していることに気付きませんか。

 

 それが善であっても、己の為のみならば死し、全の為の善ならば弥栄えます。善にも外道の善があるのです。心しなさい。

 

 神示見ていないとビックリが出てきます。この世が始まって以来、なかったことが出てきます。世界の片端浜辺からです。分かりましたか。

 

 あなたは神体を偶像と言っていますが、それはあなた自身が偶像であるが故なのです。礼拝を忘れ、祈りを忘れることは神を忘れることです。

 

 あなたの住む段階では、祈り畏(かしこ)み謹(つつし)んで実践しなければなりません。拝まなくても拝んでいる境地はなかなかですね。

 

 あなたは自分が助かろうとするから助からないのです。世界はこの世ばかりではないことを、よく得心してください。我を捨て去り素直に為しなさい。三千年の秋(とき)が来ているのです。