日月神示 海の巻 第十三帖(五〇五)から第十九帖(五一一)

第十三帖(五〇五)

 

 表に出ているかみがみ様に和合してもろうて世の立て替えにかかりて下さいね、苦労なしには何事も成就しませんよ、苦を楽しみなさい。この世を乱したのは神界から、この世乱した者が、この世を直さねばならないのですよ、この道理わかるでしょう、立て直しの御用に使う身魂は、この世を乱した(不明記号)様です。秘密は秘密ではありません、火水(ひみつ)です、明らかな光ですよ、火水のマコトを悪(不明記号)にたぶらかされてわからなくなったから、秘密となったのですよ、秘密は必ず現われて来ます。あと七つの集団(まどい)が出来ます、一つには(左回りの渦)のしるしつけなさい、この世一切のことを建て替えるのです、(不明記号)の道も変えますよ、心の置き所も変えますよ。八月二十三日、一二(不明記号)。

 

 

第十四帖(五〇六)

 

 何もわからない枝葉の(不明記号)に使われていると気の毒出来ますよ、早くその(不明記号)と共にここへ参りて、マコトの言(コト)を聞いて、マコトに早く立ち返りて下さいね、〇九十(マコト)とは〇一二三四五六七八九十です、一二三四五六七八隠れているのですよ。

 

 縁あればこそ、そなた達を引き寄せたのです、このたびの二度とない大手柄の差し添えとなって下さいな、なれる因縁の尊い因縁を壊さないように。見て見なさい、真っ只中(ただなか)となりたら学でも智でも金(かね)でもどうにも見当取れないことになるのです、今は(不明記号)を死なして人民が上になっていますが、そうなってから(不明記号)に助けてくれと言っても、時が過ぎているから、時の(不明記号)様がお許しなさりませんよ、マコトになっていれば何事もすらりすらり。八月二十三日、一二(不明記号)。

 

 

第十五帖(五〇七)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日月神示 黄金の巻 第一帖(五一二)から第九帖(五二〇)

第二十四巻

 

黄金(こがね)の巻(全百帖)

 

自 昭和二十四年十一月十七日

至 昭和二十五年一月十八日

 

 

第一帖(五一二)

 

 元の元の元の神は何(なに)も彼(か)も終わっているのですよ。終わりなく始めなく弥栄(いやさか)えているのです。友つくりなさい、友つくることは己(おのれ)つくることです。広めることです。己を友の心の中に入れることです。皆、我(われ)の目的立てに来ているのです。それでは思惑(おもわく)立ちませんよ。御光(みひかり)が愛です。真です。愛はマです。真は言です。これを誠と言います。誠は生きています。三千世界の生命です。和つくりなさい。和はむすびです。何も彼も生まれます。息します。自分で勝手にしておいて親神を怨(うら)んでいますよ。この巻から人民の道しるべです。近いことから知らせます。この神示出たら、すぐ血としておいて下さいな。そなたの為(ため)なのです。そなたの為は人の為、世の為、三千世界の為です。この巻、黄金の巻。心の眼開きなさい。十一月十七日。ひつ九のか三

 

 

第二帖(五一三)

 

 日本が日本がと、まだ小さい島国日本に捉(とら)われていますよ。世界の日本と口で言っていますが、生きかえるもの八分です。八分の中の八分はまた生きかえりますよ。生きかえっても日本に捉われますよ。おわりの仕組はみのおわり。骨なし日本を、まだ日本と思って目さめん。九十九十(コトコト)と言ってカラスになっていますよ。古いことばかり守っていますよ。古いことが新しいことと思っていますが、新しいことが古いのですよ。取り違いしないでくださいね。神は生命です。秩序です。秩序は法則です。為(な)しなさい。行じなさい。考えなさい。考えたらよいのです。為すにはまず求めなさい。神を求めなさい。己に求めなさい。求めて、理解した後(あと)為しなさい。為して顧(かえり)みなさい。神のいのち其処(そこ)に弥栄えますよ。今までの日本の宗教は日本だけの宗教、このたびは世界のもとの、三千世界の大道です。教(おしえ)ではありません。八分の二分はマコトの日本人です。日本人とは世界の民のことです。一度日本すてなさい。日本がつかめますよ。日本つかむことは三千世界をつかむことです。悪の大将も、そのことよく知っていて、天地デングリ返るのです。物の食べ方に気つけなさい。皆の者、物ばかり食べていますよ。二分の人民、結構に生きて下さいな。喜び神です。十一月十七日。ひつ九のか三

 

 

第三帖(五一四)

 

 神は神の中に、宇宙を生み給(たま)うたのですよ。善の祈りには善、悪の祈りには悪、祈りの通りに何も彼も出て来ること、まだわかりませんか。時節には時節のことと言ってありましょう。十一月十七日。ひつ九のか三

 

 

第四帖(五一五)

 

 これだけに世界に荒事(あらごと)をさして見せて、神示通りに出て来ても、まだ目醒(めさ)めないのですか。まだまだ改心中々ですねえ。悔い改めなさい。顧みなさい。恥じ畏(おそ)れなさい。慎(つつし)みなさい。その日その時からよくなりますよ。人間には神は知れないものです。神のはたらきのみ、やっと知れるのです。神の能(はたら)きは千変万化、能(はたら)き見て神そのものと思うは人間心。この神示、針の穴ほども違いませんよ。書かしたことそのまま出て来ますよ。神は人となりたいのです。人は神となりたいのです。霊は形を、形は霊を求めているのです。人は神のいれもの、神は人のいのち。十一月十七日。ひつ九のか三

 

 

第五帖(五一六)

 

 もの産む始め女。目的たてるとスコタン。種から生えたものは渋柿です。接(つ)ぎ木(き)せねば甘柿とはなりませんよ。己(おのれ)の為することは人の為することです。思いは力、実在です。十一月十七日。ひつ九のか三

 

 

第六帖(五一七)

 

 天地まぜまぜになったら、まだまだなるのですよ。彼れ是(こ)れ、何が何だかわからないことになると言ってありましょう。早く神示(ふで)肚(はら)に入れておきなさい。己に逆(さか)らうは神に逆らうものです。己拝(おろが)むは神拝むもの。キリキリ舞い、目の前。十一月十七日。ひつ九のか三

 

 

第七帖(五一八)

 

 今はまだなるようにしておりて下さいね。悪いこと通して善くなる仕組、よく心得(こころえ)なさい。神体や神殿が神ではありませんよ。神でもありますよ。取り違い禁物。鼻高には困る困る。他の教会は病治して一人でも信者多くつくって立派に教会をつくればそれでよいようにしていますが、この道はそんなところでまごまごさしてはおけませんよ。高く光りますよ。遠くから拝むようになりますよ。一切の未来も一切の過去も、すべてが現在なのです。中今(なかいま)です。このことわかるが善です。神はすべてを知っているのです。現在は永遠です。何処(どこ)からともなく感じて来るもの尊びなさい。取り次ぎ、信者より曇りひどい。十一月十七日。

 

 

第八帖(五一九)

 

 外にあるもの内にあります。十一月十七日。

 

 

第九帖(五二〇)

 

 この神示に縁あるものには、天使の働きくらいのこと、すぐにわかるミタマ授(さず)けあるのに、今の姿は何事(なにごと)ですか。ボタン押しなさい。灯台(とうだい)もとへ来て、明るくなると思い違い、もとへ来て灯(あか)りとなりなさい。光となりなさい。十一月十七日。

日月神示 黄金の巻 第十帖(五二一)から第十七帖(五二八)

第十帖(五二一)

 

 もう化(ば)けては居れません。化けの世はすんだのですから、人民ウソしてはなりません。嘘見分ける鏡与えてありますよ。早く改心しなさい。仏(ぶつ)の取り次ぎ、キリストの取り次ぎ、天理、金光、大本の取り次ぎさん、早く改心結構です。アラーの取り次ぎさん、道教も同様です。人間はいつも創られつつあるものです。これでよいということはないのです。ゴッドも仏も神も皆その通りです。世の中も、大千世界も亦(また)同様です、つくられつつあるのです。愛と言い真と言うもの皆方便(ほうべん)です。いずれも誠の現われです。ほうべんの世はすみてホウベンの世となりますよ。そのホウベンの世済みて誠の世となるのです。善悪なき世となるのです。わかりましたか。かのととりの日。一二十(ヒツキノカミ)

 

 

第十一帖(五二二)

 

 今度のイワトびらき、神と人との九十運動です。立て替えの守護が大切です。まず一筋の天地の道から変えるのです。次に人の道つくるのです。経と緯です。人の道と天地の道と間違えていますよ。人の道は花色々と咲き乱れ、織(お)り交(ま)ぜて、楽し楽しのそれぞれです。自分で自分のことしているのですが、またさせられているのですよ。大き自分に融(と)け入ったとて小さい自分無くなってしまうのではないのです。神人(かみひと)です。天地(あめつち)ですと言ってありましょう。善も仮です。悪も仮です。よく心得なさい。かのととりの日。一二十(ヒツキノカミ)

 

 

第十二帖(五二三)

 

 守護神守護神と言っていますが、魂の守護神は肉です。肉の守護神は魂です。くるくる廻(まわ)ってまた始めからです。前の始めと始めが違います。皆相談し合ってよきに弥栄えますよ。為(な)さねば後悔です。始めからの神示(ふで)読めばわかるように示してあるではないですか。神示読まないから迷うのですよ。神は人民の気引きます。神示読みなさい。神示出ます。かのととり。一二十

 

 

第十三帖(五二四)

 

 神示はちっとも違いません。違うと思うことあったら己の心顧みなさい。その心曇っているのですよ。めぐりあるだけ神がうらめしくなりますよ。めぐり無くなれば神が有り難いのです。人間無くて神ばかりでは、この世のことは出来はしません。神が人間になって働くのです。わかりましたか。新しき神国が生れるまでめぐりばかりがウヨウヨと、昔のしたことばかり恋しがっていますが、そんなこと何時(いつ)までも続きません。三年の苦しみ、五年もがき、七年でやっと気のつく人民多いのです。

 

 皆仲よう相談し合って力合わせて進め進め。弥栄えますよ。二つに分かれますよ。三つに分かれますよ。分かれて元に納(おさ)まる仕組。結構結構。理解大切。理解結構。思考しなければこれからは何も出来ません。拝(おろが)み合うことは理解し合うことです。手合わせて拝むばかりでは何もわかりはしません。何故に心の手合わせないのですか。心の手とは左行く心の手と右行く心の手と和すことです。サトルことです。苦しんで苦しんで苦しみぬいて得たことは楽に得たことです。その楽に得たことのみ自分の身につくのです。血です。肉です。かのととり。一二十

 

 

第十四帖(五二五)

 

 しるしは(不明記号)と言ってありましょう、(不明記号)なかなかですねえ。為せ、為せ、為せば成る時です。為さねば後悔です。元たてなさい。かのととり。一つ九十

 

 

第十五帖(五二六)

 

  人から見てあれならばと言うようになれば、この方(ほう)の光出るのです。行(ぎょう)出来なければお出直し、お出直し多いですねえ。独断役には立ちません。イワトびらきの九分九厘でひっくり返り、また九分九厘でひっくり返る。天明五十六才七ヵ月、ひらく。かのととり。一二十

 

 

第十六帖(五二七)

 

 羹(あつもの)に懲(こ)りて膾(なます)吹(ふ)いている人民よ。欲(よく)捨てるとわかって来ますよ。まことの欲深(よくぶか)になりなさい。イロハの勉強とは、日々の生活を神示に合わすことです。この中から神示通りのカタ出しなさい。出さねばなりませんよ。わかった人ほど、口静かになります。天狗が出て来て三日天下、それも御役、御役御苦労ですねえ。良けりゃ立ち寄り、悪くなれば立ち去るような人民、早く退(の)いて見物(けんぶつ)していなさいな。いつも日和見(ひよりみ)していると気の毒出来ますよ。神に使われるのは一(ひと)通りや二(ふた)通りの苦労では出来ません。

 

 宗教によるもののみ天国に行くと考えるもの、自分の教会のみ天国に通ずるというもの、皆悪の眷族(けんぞく)ばかり。迷わないように。迷うは欲からです。体験と理解のみ財産です。神示肚に入ったら、それでもうよいのです。去りて花咲かせなさい。肚に入るまでは去ってはなりません。確(し)か心得なさい。かのととり。一二十

 

 

第十七帖(五二八)

 

 神、拝(はい)しても筋違うと水の泡(あわ)です。まだ迷っていますが、それでは仕組み成就(じょうじゅ)しませんよ。褌(ふんどし)しめて一本道の真心結構。金がよければ金拝みなさい。人がよければ人拝みなさい。神がよければ神拝みなさい。かのととり。一二十

日月神示 黄金の巻 第十八帖(五二九)から第二十五帖(五三六)

第十八帖(五二九)

 

 祈れば祈るほど悪くなることあるのです。結構な道だとわかりませんか。心して迷わないように。天国の門、貧者富者の別ありませんよ。別ある境界つくらないように。世界中一度にゆすぶると言ってありましょう。釦(ぼたん)一つででんぐり返ると言ってあること、未(ま)だわかりませんか。神罰はなし。道は一つ二つと思わないように。無数にあります。(但し内容は一つです)。新しき道拓(ひら)いてあるに、何故進まないのですか。

 

 下腹からの怒りは怒りなさい。胸からの怒りは怒らないように。昔から無いことするのですから、取り違いもっともですが、分けるミタマ授けありますよ。高い天狗の鼻曲げて自分の香嗅(か)いで見なさい。鼻もちなりませんよ。今までのことちっとも交わらない新しき世になるのですから、守護神殿にも、わからないことするのですから、世界の民みな一度に改心するように、どん詰(づま)りには致すのですが、それまでに一人でも多く、一時も早く、改心させたいのです。気ゆるめたら肉体ゆるみますよ。後戻(あともど)りばかりですね。霊人(れいじん)と語るのは危ないのです。気つけなさい。人は人と語りなさい。かのととりの日。一二十

 

 

第十九帖(五三〇)

 

 己の行出来ていないと、人の悪口言わなくてはならないことになります。己の心日々夜々改めねばなりません。心とは身と心のことです。元の活神(いきがみ)が直接の、直々の守護を致す時来ました。気つけてください。国々(くにぐに)、所々(ところどころ)、村々家々、皆何なりとしてめぐりだけの借銭(しゃくせん)済まし致してくださいね。大峠(おおとうげ)です。早合点(はやがてん)しないように。小さい容(い)れもの間に合いませんよ。かのととり。一二十

 

 

第二十帖(五三一)

 

 動かない富士の仕組の鳴門の仕組。言霊(ことだま)、数霊(かずたま)、ひふみ、色霊(いろたま)いろは。かのととり。ひつ九十

 

 

第二十一帖(五三二)

 

  言われる間はよいのです。読まれる間はよいのです。綱切れたら沖の船、神信じつつ迷信に落ちていますよ。日本の国のミタマ曇っていることひどいのです。外国、同様ながら筋通っていますよ。型にはめると動きないことになります。型外しなさいと言ってありましょう。自分で自分を監視しなさい。顕斎(けんざい)のみでも迷信、幽斎(ゆうさい)のみでも迷信、二つ行(おこな)っても迷信です。二つ融け合って生まれた一つの正斎を中として、顕幽、両斎を外としてまつるのが大祭ですよ。

 

 荒(あら)、和(にぎ)、幸(さち)、奇(くし)、ミタマ統(す)べるのが直日(なおひ)のみたま。みすまるのたまぞ。今度は、直日のみでなくてはなりません。直日弥栄えて直日月(不明記号)の能(はたらき)となるのですよ。食物気つけなさい。信仰は感情です。飢えた人には食物。神よ勝て。人間勝ってはなりませんよ。かのととり。一二十

 

 

第二十二帖(五三三)

 

 神まつれ、祖先まつれ、子孫まつれ、心まつれ、言葉まつれ、行まつれ、食物まつれ、着るものまつれ、住居まつれ、土地まつれ、感謝感謝で喜び来ますよ。奇蹟では改心出来ないのです。かのととりの日。ひつ九十

 

 

第二十三帖(五三四)

 

 この神示読むとミタマ磨けますよミガケルぞ。神示読むと改心出来ますよ。暮らし向きも無理なく結構に弥栄(やさか)、弥栄(いやさか)えますよ。まだわからないのですか。苦しいのは神示読まないからです。金の世済んで、黄金(きん)の世来ますよ。三年目、五年目、七年目です、心得なさい。欲しいもの欲しい時食べなさい。低くなるから流れて来るのです。高くなって天狗ではならん道理。頭下げると流れ来ますよ。喜び、愛から来ますよ。神様も神様を拝み、神の道を聞くのですよ。それは(不明記号)と(左回りの渦印)と(右回りの渦印)とによって自分のものとなるのです。融けるのです。一つ境があります。世界の人民一人一柱(はしら)護(まも)りの神つけてあります。人に説くには人がいります。役員取り違いしています。我(わ)れ善(よ)し信仰だからです。あまり大き過ぎるからわからないのも道理ながら、わからないでは済まない時来ているのですよ。いざという時は日頃の真心もの言います。付け焼刃(やきば)は付け焼刃、神拝むとは、頭ばかり下げることではありませんよ。内の生活することです。内外共でなくてはなりません。残る一厘は悪の中に隠してあります。かのととり。一二十

 

 

第二十四帖(五三五)

 

  口で知らせること、わかる人にはわかりますよ。大切なことはミミに聞かせてあります。天狗だから、軽く見るからわからないのですよ。神示はいらないのです、ふではカスですよ。皆ゝを見失っていますよ。ゝあるのがわからないでしょう。言うてなりません。仕組は出来上がらないと、人民にはわかりません。仕上げ見て下さい。立派ですねえ。心で悟りて下さいな。言うだけで聞けば実地に出さなくてもいいのです。実地には出したくないのです。この道理、よく悟りてくださいね。実地に出しては人民可哀想(かわいそう)だから、こらえこらえてくどう言っているうちに、早く悟りて下さいね。かのととりの日。一二十

 

 

第二十五帖(五三六)

 

 こんなになったのもこの方等(ほうら)が我(が)が強過(つよす)ぎたからですよ。我出すなと言ってありましょう。この度のイワト開きに使う身魂(みたま)は、我の強い者ばかりですが、めぐりだけのこと償(つぐな)って、償うことです。天地かまう神でも我出せないことですよ。神々様も懺悔(ざんげ)していますよ。まして人民。てん(不明記号)かいしんまだまだのまだですよ。かのととりの日。一二十

日月神示 黄金の巻 第二十六帖(五三七)から第三十三帖(五四四)

第二十六帖(五三七)

 

 与えてあるのに何故手出さないのですか。より善(よ)き教えに変わるのは宗祖の喜ぶことくらいわかるでしょう。うまいこと言って人集めると、うまいこと言って人が去るのですよ。二四(ニシ)と一ヵ四(ヒガシ)に宮建てなさい。建てる時近づきましたよ。間に合う守護神九分通り悪になっていますよ。経には差別ありますよ。緯は無差別です。この道理わからねば一列一平(いちれついちたいら)とはなりません。金欲しい者には金儲けさせてあげなさい。欲しいもの与えてやりなさい。人間心、神心、逆さまです。与えることは戴くこと。まだわからないのですか。皆何も天国に行くようになっているではないですか。この世でも天国、あの世でも天国、目出度(めでた)いですね。地獄説く宗教は亡(ほろ)びます。地獄と思うもの、地獄つくって地獄に住みます。地獄はげしくなります。人間の力だけでは、これからは何も出来ません。アカの世からキの世になりますよ。世は七度の大変わりと知らしてありましょう。二(ツギ)の世はキの世。口静かにしなさい。かのととり。一二十

 

 

第二十七帖(五三八)

 

 何故、喜び受けないのですか。宗教は無くなってしまいますよ。誠光るのです。光のマコトの宗教生まれるのです。その時は宗教ではありませんよ。心得なさい。かしわでとカシワデと二つあります。拍手はちかいとチカイのしるし。手摺(す)るのは願いのしるし。かのととり。一二十

 

 

第二十八帖(五三九)

 

 外が悪くて中が善いということないのです。外も中も同じ性を持っているのです。時節来ているから、このままにしておいても出来ますが、それでは人民可哀想なので、くどく言っているのですよ。三千年花咲きます。結構な花、三年、その後三年です。二(ツギ)の三年めでたいなあめでたいなあ、ヒカリの神示(ふで)、裏まで読んで見なさい、よく解(わか)ってビシビシその通りになっておりましょう。この方(ほう)念じてやりなさい。この火(ほう)この水(ほう)です。この火ばかりと思わないように。火(ヒ)と水(ミ)です。善き火(ホー)にまわしてやりますよ、良き水(ホー)の御用もまわしてやりますよ。しくじりも人間にはあります。しくじったらやり直しなさい。しくじりは火と水の違いです。このことよく心得ていなさいな。しくじり、しくじりでなくなります。何も思案投首(しあんなげくび)一番罪深い。皆それぞれに喜び与えられているではないですか。何不足言うのですか。かのととり。一二十

 

 

第二十九帖(五四〇)

 

 二二(フジ)の盗み合い、世の乱れ。心して怪(あや)しと思うことは、たとえ神の言葉と言っても一応は考えなさい。神の言葉でも裏表の見境(みさかい)なく唯(ただ)に信じてはなりません。サニワしなさい。薬、毒となることあると言ってありましょう。馬鹿正直、まことの道見失うことあると言ってありましょう。道は易(やす)し、楽し、楽しないのは道ではないのですよ、奉仕ではないのですよ。

 

 世界に呼びかける前に日本に呼びかけよ。目醒まさねばならないのです。それが順序と言うもの。神示で知らしてありましょう。ここは種つくるところ、種は人民でつくれないのです。神の言うよう、神の息戴いて下さいね。天の道、地の道、天地の道ありますよ。人の道ありますよ。何も彼(か)も道ありますよ。道に外(はず)れたもの外道(げどう)ですよ。前は一筋です。二筋です。三筋です。曲がっていますよ。真っすぐですよ。心得なさいな。節分からオーヒツキクニオーカミと現われますよ。讃えまつりなさい。三年の大グレ。かのととり。一二十

 

 

第三十帖(五四一)

 

 一四三〇一四三〇(ビヨーサマビヨーサマ)、改心早う結構です。道知るのみでは何にもなりません。道味わいなさい、歩みなさい、大神の道には正邪ないのです。善悪ないのです。人の世にうつりて正と見え邪と見えるのです。人の道へうつる時は曇りただけのレンズ通すのです。レンズ通してもの見ると逆立(さかだ)ちしますよ。神に善と悪あるように人の心にうつるのです。レンズ外(はず)しなさい。レンズ外すとは神示読むことですよ。無き地獄、人が生むのです。 罪です。曲(まが)です。今までは蔭の守護であったが岩戸ひらいて表の守護となり、裏表揃(そろ)った守護になりたら、まことの守護です。悪も善も、もう隠れるところ無くなりますよ。かのととり。一二十

 

 

第三十一帖(五四二)

 

  人民それぞれに用意してくださいね。自分出しては集団(まどい)こわしますよ。力出ませんよ。早くうつりなさい。的(まと)としなさい、と言ってありましょう。マトは光の射(さ)し入るところ、的として月一度出しなさい。自分の小さいこと知れる者は、神の国に近づいたのですよ。かのととり。一二十

 

 

第三十二帖(五四三)

 

 神の道に進むために罵(ののし)られることは人民の喜びですよ。その喜び越えて神の喜びに入れば罵られることないのです。神敬(うやま)うはまだまだです。早うサトリて、神に融(と)け入りなさい。かのととりの日。一二十

 

 

第三十三帖(五四四)

 

 神国、神の宮早うつくりなさい。今度此処(ここ)へ神が引き寄せた者は、みなキリストです。釈迦ですと言ってありましょう。磨けば今までの教祖にもなれるミタマばかりですよ。それだけに罪深いのです。岩戸あけて、めぐり果たさせたいのです。このこと肚によくわかるでしょう。かのととり。一二十

日月神示 黄金の巻 第三十四帖(五四五)から第四十三帖(五五四)

第三十四帖(五四五)

 

 世界平(ひら)とう、胸の掃除からハラの掃除です。理智がまことの愛です。アクも神の御子。絶対の責任は神、相対の責任は人民。親よりも師よりも神愛しなさい。その親、師は神からさらに愛されますよ。オークニトコタチのカミガオースサナルのカミサマなり。かのととりの日。一二十

 

 

第三十五帖(五四六)

 

  お父様がヒのオオカミサマ、お母様がツキのオオカミサマなり。奥山から出たものは奥山にかえり、また奥山からさらに弥栄となって出るのですよ。大切なもの皆与えてあるではないですか。人民はただそれをどんなにするかでよいように、楽にしてありますよ。かのととり。一二十

 

 

第三十六帖(五四七)

 

 まことに求めるならば、神は何でも与えます。与えているではないですか。御用は神示見ないとわからない道理わかりませんか。誰にも知れんこと知らして、型して見せてあるではないですか。かのととりのひ 一二十

 

 

第三十七帖(五四八)

 

 集団(まどい)は天国の組織同様にしなさい。横はウクスツヌムユルウの十柱(とはしら)です。縦にはアイウエオの五柱(いつはしら)、結構ですね。横だけでも片輪、縦だけでも片輪、この方(ほう)見えないアですよ。顕(あらわ)れは神示です。よく相談し合って結構致してくださいね。弥栄えます。秘文(ひふみ)読めばわかります。神業奉仕すれば自らめぐり取れるのです。めぐりないもの一人もこの世にはいません。かのととり。一二十

 

 

第三十八帖(五四九)

 

 心次第で皆救われる。悪には悪の道、それ知らん善の神では、悪抱き参らすこと出来ません。因縁あっても曇りひどいと御用難しいのです。この世の人民の悪は幽界にうつり、幽界の悪がこの世にうつる。かのととり一二十

 

 

第三十九帖(五五〇)

 

 見渡せば見事咲きたり天狗の鼻の。

 二人でしなさいと言ってあるのは裏表合わせて一つです。二人で一人でしなければなりません。統一ないところ力生まれません。人民の奉仕は神への奉仕、生活は奉仕から生まれます。世界は大きな田畠(たはた)、それ蒔(ま)け、それ蒔け、種を蒔け。

 

 

第四十帖(五五一)

 

 どうにもこうにも手つけられないでしょう。この世は浮島(うきしま)です。人民の心も浮島です。油断禁物。ひふみの食べ方心得たら、今度は気分ゆるやかに嬉(うれ)し嬉しで食べなさい。天国の食べ方です。一切は自分のものと言ってありましょう。上も下も右も左も皆自分のものです。自分です。其処(そこ)にまこと愛生まれます。かのととり。

 

 

第四十一帖(五五二)

 

 この方(ほう)の許(もと)へ引き寄せた人民、八九分通りは皆一度や二度は死ぬる生命を神が助けて、めぐり取って御用さしているのです。奉仕しなさい。どんな御用も勇んで務めなさい。肚に手あてて考えて見なさい。成程(なるほど)なあと思い当たるでしょう。喉元(のどもと)すぎて忘れているでしょう。かのととり。ひつ九十

 

 

第四十二帖(五五三)

 

 神示(ふで)読めば神示の気通いますよ。神示読みなさい。神示うつしなさい。うつす御役結構ですねえ。うつしなさい。うつしなさい。人にうつしなさい。世界にうつしなさい。悪のミタマなごめ抱き参らすには理解大切です。かのととり。一二十

 

 

第四十三帖(五五四)

 

 野見よ。森見よと言ってありましょう。水の流れにも宗教あります。これを人民勝手に宗教に一度下げるから、神冒(おか)すことになるのです。引き下げねばわからないし、心で悟りなさい。覚(さ)めの生活弥栄えます。天国の礎(いしずえ)、出足の地場は二二(ふうふ)からです。二二の道は秘文(ひふみ)の道です。和です。かのととり。一二十

  

 

 

  ※(制作者の齋藤健一より)このページまでは、[不明記号]及び[不明記号と漢数字の混合の文章]は無理に記載せずに省略し、単純に、それらに振ってあったフリガナであるカタカナで表記しました。でも、次のページ以降は、無理をして不明記号とカタカナの混合文字をそのまま表記してあります。シンプルに最初からカタカナのみで表記すれば良かったのですが、過去の私はそうはしませんでした。このサイトはブログ形式で、最も新しい文章が最も最初に表示されます。なので、私は後ろの方から制作していったのです。なので、読んでいる皆さんは前から後ろに読み進めていますが、制作者の私は、後ろから前に向かって制作して行きました。なので、このページ以降のページの制作は、このページの制作よりも昔に作ったのです。一々、昔に作ったページに修正目的で手を加えるのは、時間の限られた私にとって、現実的ではありません。なので、過去に作ったページ内では、不明記号と漢数字の混合表記で分かり辛く感じると思いますが、しょうがないのです。でも、元々の文章はそのように難しい表記なので、我慢してください。不明記号がどのような表記になっているのか確認したい場合には、実際に[完訳 日月神示]を買って読むことをお薦めします。

日月神示 黄金の巻 第四十四帖(五五五)から第四十五帖(五五六)

第四十四帖(五五五)

 

 奉(たてまつ)る歌書かしておいたに何故読まないのですか。大き声で読み上げなさい。歌うたい呉(く)れと言ってある時来ていますよ。歌でイワトひらけますよ。皆歌え唄え。各(おの)も各も心の歌つくって奉(まつ)りなさいな。歌結構です。

 

 ひふみゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。

 かけまくも、かしこけれども、歌たてまつる。

 御まへに、歌たてまつる。弥栄(やさか)み歌を。

 世を救う、大みゐわざぞ。みことかしこし。

 まさに今、神のみことを、このみみに聞く。

 三千世界、救ふみわざぞ。言(こと)ただし行かな。

  大神の、しきます島の、八十島(やそしま)やさか。

 天(あま)かけり、地(くに)かける神も、みひかりに伏す。

 堪へに堪へし、三千年の、イワトひらけぬ。

 したたみも、いわひもとほり、神に仕へむ。

 大稜威(おおみいづ)、あぎとふ魚も、ひれ伏し集ふ。

 かむながら、みことの朝を、みたみすこやかに。

 神の子ぞ。みたみぞ今の、この幸になく。

 国原は、大波うちて、みふみを拝す。

 天もなく、地もなく今を、みことに生きん。

 大みつげ、八百万神も、勇みたつべし。

  天地(あめつち)の、光となりて、みふで湧き出づ。

 一つ血の、みたみの血今、湧きて止まらず。

 大みこと、身によみがえる、遠つ祖神(おや)の血。

 すでに吾れ、あるなし神の、辺にこそ生きん。

 高鳴るは、吾が祖の血か、みつげ尊し。

 吾れあらじ、神々にして、祈らせ給う。

 天地も、極まり泣かん、この時にして。

 かつてなき、大みつげなり、立たで止(や)むべき。

 天地も、極まりここに、御代(みよ)生まれ来ん。

 大き日の、陽にとけ呼ばん、くにひらく道。 

  みことのり、今ぞ輝き、イワトひらけん。

 宮柱(みやばしら)、太(ふと)しき建てて、神のまにまに。

 抱き参らせ、大御心に、今ぞこたえむ。

 言いむけ、まつろはしめし、みことかしこし。

 ただ涙、せきあへず吾(あ)は、御(おん)まえに伏す。

 ささげたる、生命ぞ今を、神と生(あ)れます。

 大まえに、伏すもかしこし、祈る術(すべ)なし。

 今はただ、いのちの限り、太道(おみち)伝へむを。

 祈りつつ、限りつくさん、みたみなり吾れ。

 いのち越え、大きいのちに、生きさせ給え。

 ひたすらに、みことかしこみ、今日に生き来し。

 言霊(ことたま)の、言(こと)高らかに、太陽(おおひ)にとけな。

 天に叫び、吾れにむちうち、今日に生き来し。

 あらしとなり、天駈(あまか)けりなば、この心癒えむか。

 走りつつ、今海出づる、大き月に呼ぶ。

 みみかくし、生命と生れて、遠つ祖神(おや)さか。

 神々の、智は弥栄え、此処に吾れたつ。

 みたみ皆、死すてふことの、ありてあるべき。

 あな爽(さや)け、みたみ栄(はえ)あり、神ともに行く。

 さあれ吾の、生命尊し、吾(あ)を拝(おろが)みぬ。

 みづくとも、苔(こけ)むすとても、生きて仕えん。

  いゆくべし、曲(まが)の曲こと、断(た)たで止むべき。

 かへりごと、高ら白さんと、今日も死を行く。

 追ひ追ひて、山の尾ことに、まつろはさんぞ。

 追ひはらい、川の瀬ことに、曲なごめなん。

 みことなれば、天(あめ)の壁立つ、極み行かなん。

 と心の、雄(お)たけび天も、高く鳴るべし。

 まさ言を、まさ言として、知らしめ給へ。

 たな肱(ひぢ)に、水泡(みなわ)かきたり、御稲(みとし)そだてんを。

 むか股に、ひぢかきよせて、たなつつくらむ。

 狭田長田、ところせきまで、実のらせ給へ。

 神々の、血潮とならん、ことに生き行く。

 言さやぐ、民ことむけて、神にささげん。

 にぎてかけ、共に歌はば、イワトひらけん。

  大き日に、真向ひ呼ばん、神の御名を。

 道端の、花の白きに、祈る人あり。

 柏手(かしわで)の、ひびきて中今(いま)の、大きよろこび。

 悔ゆるなく、御まへに伏し、祝詞(のりと)申すも。

 祝詞せば、誰か和し居り、波の寄す如。

 のりと申す、わが魂に、呼ぶ何かあり。

 御まへに、額(ぬか)づきあれば、波の音きこゆ。

 悔ゆるなき、一日(ひとひ)ありけり、夕月に歩す。

 曇りなく、今を祝詞す、幸はへたまへ。

 奉る、歌きこし召せ、幸はへ給へ。

  ひふみよい、むなやここたり、ももちよろづう。

 

 かのととりの日。

 

 

第四十五帖(五五六)

 

 相談相談と言って、見物を舞台にあげてはなりません。見物は見物席。祈り祈り結構と言って、邪の祈りは邪の道に落ちますよ。色々のお告げ出ると言ってありましょう。今その通りなのです。お告げに迷うのです。審神(さにわ)して聞きなさいと言ってありましょう。審神して聞きなさい。わからなくなれば神示見なさい。(十一月裏四日)一二十

日月神示 黄金の巻 第四十六帖(五五七)から第五十三帖(五六四)

第四十六帖(五五七)

 

 今度の仕組、まだまだナルのです。なってなってなりの果てに初めて成るのです。生むのです。まず金が無ければと言っていますが、その心まことないのです。キが元とあれほど言っても未(ま)だわからないのですか。役員どうどうめぐり。(十一月裏四日)一二十

 

 

第四十七帖(五五八)

 

 ナルとは成る言(こと)です。成るは表、主(しゆ)です。ウムとは(不明記号)のこと。生むは裏、従(二ゆ)です。ナルは内、ウムはソト。ナルには内の陰陽合わせ、ウムにはソトの陰陽合わせなさい。成ると生むは同じですよ。違うのですよ。成ることを生むと言うことありますよ。生むこと成ると見ることありますよ。ナルとは(不明記号)(ナル)こと、自分が大きく成ることです。自分の中に自分つくり、内に生きることです。ウムとは自分の中に自分つくり外におくことです。このことわかれば石屋の仕組わかります。(十一月裏四日)一二十

 

 

第四十八帖(五五九)

 

 神の御用と言ってまだまだ自分の目的立てる用意していますね。自分に自分がだまされないようにしてくださいね。自分の中に善の仮面を被(かぶ)った悪が住んでいるのに気付かないのですか。祓い清めの神がスサナルの神様なり。サニワの神はウシトラのコンジン様なり。それぞれにお願いしてから、それぞれのこと行じなさい。

 

 この道に入って始めの間は、かえって損したり馬鹿みたりしますよ。それはめぐり取って戴いているのです。それが済めば苦しくても何処(どこ)かに光見出しますよ。おかげのはじめ。次に自信ついて来ますよ。胴がすわって来ますよ。心が勇んで来たら、おかげ大きく光り出したのです。悪の霊はみぞおちに止まりがちです。霊の形は肉体の形、肉体は霊の形に従うもの。このことわかれば、この世のこと、この世とあの世の関係がはっきりしますよ。足には足袋、手には手袋。(十一月裏四日)ウシトラ

 

 

第四十九帖(五六〇)

 

 上の、一番の番頭、大将が悪いのではありません。一の番頭がよくないのです。親に背(そむ)くはよくないが、真理に背くは尚(なお)悪い。眷属(けんぞく)さんにも御礼申しなさい。大神様だけでは仁義になりませんよ。月日様では世は正されません。日月様ですよ。日月様が、ヒツキ様となりなされて今度のイワトびらき、あけますよ。ふで当分二を通じて出しなさい。あたえなさい。(不明記号)と二と千とセとワとホとは、まず奥山。十二月七日 一二十

 

 

第五十帖(五六一)

 

 口で言うことよくききなさい。肉体で言うこと、神の申すこと、よく聞き分け下さいね。霊媒通じてこの世に呼びかける霊の九分九分九厘は邪霊なのです。はげしくなりますよ。世界一平まだまだ出来そうで出来ない相談。奥の奥、見通して下さい。動きは必要ですが、皮むきますよ。次も駄目、次も駄目、その次の次がまことの一家です。寒い所暖かく、暑い所涼しくなりますよ。仏には仏の世界はあれど、三千年でチョンぞと言ってありましょう。神示しめすに、順乱して来ますよ。欲出して下さるな。順乱れるところに神のはたらきないのです。人民自由にしなさいと言って、悪自由してはなりません。(十二月七日)一二十

 

 

第五十一帖(五六二)

 

 喜びなさい。よろこびは弥栄の種蒔きます。祈りは実行です。言わねばならないし、言えば肉体が申すように思っておかげ落とすし、わからないこと申すように、自分のものさしで測るし、学の鼻高さんには神も閉口。(十二月七日)一二十

 

 

第五十二帖(五六三)

 

 何も知らないものが出て来て邪魔しますよ。余程(よほど)しっかり致してくださいね。邪魔も御役ながら、時と所によりけり。神徳積んだら人の前に自分隠せるようになりますよ。頭に立つ者力隠しなさい。昨日より今日、今日より明日と、一歩一歩弥栄えなさい。一足飛び、見ていても危(あやう)い。早くわかれば後戻りさせねばならず、わからないで後押しせねばならず、少しの時の早い遅いはあるなれど、いずれは神示通りに出て来ますよ。想念は形式をもって始めて力出ますよ。(十二月七日)一二十

 

 

第五十三帖(五六四)

 

 物も神として仕えば神となります。相談と言えば人民ばかりで相談していますが、神との相談結構ですね。神との相談は神示(ふで)よむことです。行き詰まったら神示(ふで)に相談しなさい。神示(ふで)が教えて、導いてくれます。罪を憎んでその人を憎まずとは悪のやり方、神のやり方はその罪をも憎まず。生活が豊かになって来るのが正しい道です。行き詰まったら間違った道歩いているのです。我では行きません。学や金ではゆきません。マコトの智一つと言ってありましょう。(十二月七日)一二十

日月神示 黄金の巻 第五十四帖(五六五)から第六十三帖(五七四)

第五十四帖(五六五)

 

 目的よくても実行の時に悪い念入ると悪魔に魅入(みい)られますよ。心しなさい。雨、風、岩、いよいよ荒(あれ)の時節です。世界に何とも言われないことが、病(やまい)もわからない病がはげしくなりますよ。食うべきものでない悪食うて生きねばならない時来ますよ。悪を消化する胃袋、早くせねば間に合いません。梅干大切心の。五十二才二(ツキ)の世の始。五十六才七ヵ月みろくの世。(十二月七日)一二十

 

 

第五十五帖(五六六)

 

 今度集っても、まとまりつかないでしょうに。世界の型出して実地に見せてあるのです。骨が折れるなれど実地に見せねばならないし、まとまらないのを纏(まと)めて、皆がアフンの仕組、気のつく人民早く元へかえりて下さいね。心に誠あり、口に誠伝えるとも実行なきもの多いのです。偽りに神の力は加わらない。偽善者多いですね。祈り行じて洗濯すれば皆世界のサニワにもなれる結構なミタマばかり。死産の子も祀(まつ)らねばなりません。(十二月七日)一二十

 

 

第五十六帖(五六七)

 

 逆怨(さかうら)みでも怨みは怨み。理屈に合わんでも飛んだ目に遭いますよ。今までの教えでは立ちて行きません。生まれ替わらねば人も生きては行けません。平等愛とは、差別愛のことです。公平と言う声に騙(だま)されないように。数で決めるなと言ってありましょう。群集心理とは一時的の邪霊の憑(つ)きものです。上から乱れているから下のしめしがつかないのです。我(わ)れ善(よ)しのやり方では世は治まりません。(十二月七日)一二十

 

 

第五十七帖(五六八)

 

 仲よしになって道伝えなさい。道を説きなさい。一切を肯定して二九(ジク)を伝えなさい。悪神憑(か)かりたなれば自分では偉い神様がうつりていると信じ込むものです。可哀想なれどそれも己の天狗からです。取り違いからです。霊媒の行い見ればすぐわかるではないですか。早く改心しなさい。霊のおもちゃになっている者多い世の中、大将が誰だかわからないことになりますよ。先生と言ってやれば皆先生になっていますね。困ったものです。(十二月七日)一二十

 

 

第五十八帖(五六九)

 

 神々の数は限りないのですが、一柱(ひとはしら)ずつ御名(みな)を称(たた)えていては限りありません。大日月(不明記号)(ヒツキクニ)の大神と称えまつりなさい。すべての神々様を称えまつることです。日は父、月は母、クニは自分です。自分拝まねばどうにもならないことになって来ます。一日が千日になりました。(十二月七日)一二十

 

 

第五十九帖(五七〇)

 

 ゝ忘れないように。世を捨て、肉を離れて天国近しとするは邪教です。合わせ鏡ですから片輪となっては天国へ行けない道理です。迷信ですよ。金で世を治めて、金で潰して、地固めしてみろくの世と致すのです。三千世界のことですから、ちと早い遅いはあります。少し遅れると人民は、神示は嘘だと言いますが、百年もつづけて嘘は言えませんよ。言いませんよ。(十二月七日)一二十

 

 

第六十帖(五七一)

 

 ここはいと古い神まつりて、いと新しい道ひらくところ。天狗さん鼻折りて早く奥山に詣(まい)りなさい。この世の仕事があの世の仕事。この道理わからずに、この世の仕事捨てて、神の為ですと言って飛び回る鼻高さん、ポキンです。仕事仕えまつりなさい。徳つめばこそ天国へ昇るのです。天国に行く人、この世でも天国にいます。キタはこの世の始めなり。(十二月七日)一二十

 

 

第六十一帖(五七二)

 

 自分のみの信仰は、私心私情のため、自己つくりてから人を導くのだと理屈言っていますが、その心根洗って自分でよく見つめなさい。悪は善の仮面かぶって心の中に喰い入っていますよ。仮面が理屈、理屈は隠れ蓑(みの)。(十二月七日)一二十

 

 

第六十二帖(五七三)

 

 洋服ぬいで和服着て、また洋服着るのです。仏の力と神の力と同じではありませんよ。同じ所までは同じですが、もう此処(ここ)まで来たら、この先は神の道でなくては動きとれません。神の大道は上の上なのです。神の道を明らかにすれば、神はその人を明らかにします。天使は天と地の和合者、仁人は地と天の和合者。(十二月七日)一二十

 

 

第六十三帖(五七四)

 

 奥山奥山と知らせてありますが、ふでは奥山から出て、奥山で分けるくらいのこと、何故にわからないのですか。誰でもが勝手にしてはなりません。それぞれの順立てねば悪となります。わからないのは、我れ善しからです。元から固めて行かなければ何時(いつ)までたっても小田原です。小田原も道筋ながら、それでは世界の人民丸つぶれとなりますよ。三分残したいために三千の足場と言ってあるのです。早く三千集めなさい。御役御苦労。(十二月七日)一二十

日月神示 黄金の巻 第六十四帖(五七五)から第七十二帖(五八三)

第六十四帖(五七五)

 

 何処で何していても道さえ踏んで居れば弥栄えます。行き詰まったら省みなさい。己の心の狂い、わかって来ますよ。神から伸びた智と愛でないと、人民の智や学や愛はすぐペシャンコ。やってみなさい。根なし草には実は結びませんよ。お尻出したらお尻綺麗に拭(ふ)いてやりなさい。怒ってはなりません。子の尻と思って拭いてやりなさい。わかった人民よ。今の内は阿呆(あほう)結構ですよ。一つに和しなさい。人間心で急がないように。(十二月十四日)一二十

 

 

第六十五帖(五七六)

 

 自分に捉(とら)われると局部の神、有限の神しかわかりませんよ。自分捨てると光さし入りますよ。知はアイ、息は真です。平面の上でいくら苦しんでも何にもなりません。かえってめぐり積むばかり。どうどうめぐりです。てんしは奥山にお出ましです。(十二月十四日)一二十

 

 

第六十六帖(五七七)

 

 省みると道見出し、悟ると道がわかり、改めると道進みます。苦しむばかりが能ではありません。自分の中にあるから近寄って来るのですよ。嫌なこと起こって来るのは、嫌なことが自分の中にあるからです。肉体は親から受けたのですから親に似ているのですよ。霊は神から受けたのですから神に似ているのですよ。わかった守護神、一日も早く奥山へ出て参りて、神の御用結構。(十二月十四日)一二十

 

 

第六十七帖(五七八)

 

 慢心(まんしん)出るから神示読まないようなことになるのです。肚の中に悪のキ這入(はい)るからぐらぐらと折角(せっかく)の屋台骨動いて来るのです。人の心がまことにならないと、まことの神の力現われませんよ。身魂(みたま)磨きとは善いと感じたこと直(ただ)ちに行うことです。愛は神から出ているのですから、神に祈って愛さして戴くようにすると弥栄えますよ。祈らずに自分でするから、元を絶つから、我れ善しに、自分愛になるのですよ。自分拝(おろが)むのは肉愛ではありません。(十二月十四日)

 

 

第六十八帖(五七九)

 

 神と人の和は神よりなさるものです。本質的には人間から神に働きかけるものではありません。働きかける力は神から出るのですから人間から和し奉(たてまつ)らねばならないのです。信じ合う一人が出来たら一つの世界を得たこと。一つ得たら二つになったことです。祈りを忘れることは、神を忘れること、神から遠ざかること、それではなりません。安全な道通りなさい。安全な教(おしえ)の所へ集まりなさい。(十二月十四日)

 

 

第六十九帖(五八〇)

 

 悪く言われるのが結構です。何と言われてもビクつくような仕組していませんよ。天晴(あっぱ)れ、三千世界のみろくの仕組、天晴です。この先は神の力戴かないと、ちっとも先行けないことになりますよ。行ったと思ってふり返ると、後戻りしていたのにアフンです。心得なさい。何も彼(か)も存在許されているものは、それだけの用あるからです。近目で見るから、善です悪ですと騒ぎまわるのです。大きい一神を信じるまでには、部分的多神から入るのが近道。大きものは人目ではわかりません。この方世に落ちての仕組ですから、落として成就する仕組、結構。神様は親、四角張(しかくば)らずに近寄って来て親しんで下さいね。(十二月十四日)

 

 

第七十帖(五八一)

 

 シクジリのミタマもありますが、この方の仕組です。めったに間違いないのですから、欲しいものにはひとまず取らせておきなさい。めぐりだけ取って行って下さる仕組です。苦しめたら改心中々です。喜ばせて改心結構ですねえ。すべてを愛しなさいと言うのは、高い立場のことですよ。九九(ここ)には九九の立場あります。よく心得なさいな。世の中には順序あります。それがカズタマ(数霊)、動くと音出ます。それがコトタマ(言霊)、ものには色あります。それがイロタマ(色霊)。(十二月十四日)

 

 

第七十一帖(五八二)

 

 世界がそなたにうつっているのです。世界見て己の心早く改心致して下さいね。世はグルグルと七変わり、改心の為、世界の民(たみ)皆、今度は引き上げ一旦(いったん)みなあります。経(たて)のつながりを忘れがちです。平面のことのみ考えるから平面のキのみ入るのです。平面の気のみでは邪なのです。動機善なら失敗は薬。(十二月十四日)

 

 

第七十二帖(五八三)

 

 世界の人民改心しなさいと言うのです。どんなめぐりある金でも持って居ればよいように思っていますが、めぐりある金はめぐりそのものとわからないのですか。

 

 家の治まらないのは女が出るからです。夫立てると果報は女に来ます。天界に住む者は一人一人は力弱いが和すから無敵です。幽界に住む者は一人一人は力強いが孤立するから弱いのです。仲よう和してやれと言う道理わかりましたか。そなたは何万年の原因から生まれ出た結果なのです。不足言わないように。十二月十四日。

日月神示 黄金の巻 第七十三帖(五八四)から第八十帖(五九一)

第七十三帖(五八四)

 

 四十八柱、四十九柱、それぞれの血筋の者引き寄せておいて、その中から磨けた者から選り抜く仕組。磨けない者代わりのミタマいくらでもありますよ。お出直しお出直し。世界が二分ですねえ。もの見るのは額で見なさい。ピンと来ますよ。額の判断間違いなし。額の目に見の誤りなし。霊界には時間、空間は無いと言っていますが、無いのではありません。違って現われるから無いのと同様なのです。あるのです。悪の霊はミゾオチに集まり、頑張ります。黄金(こがね)の巻は百帖です。こがねしろがねとりどりに出るのです。慌てないように。(十二月二七日)一二十。

 

 

第七十四帖(五八五)

 

 貰(もら)った神徳に光出す人民でなければ、神徳を我れ善しにする人民にはおかげあげません。自分が自分で思うようにならないでしょうに。自分が自分のものではないからですよ。自分のものなら自由になると言ってありましょう。道を進めば楽に行けます。道行かずに山や畠(はたけ)や沼に入るから苦しむのです。神の仕組のわかる人民二三分出来たら、いよいよにかかりますよ。まだまだ改心足りません。神は急ぎます。魂にめぐりあると何してもグラリグラリと成就しませんよ。めぐりのままが出て来るのですよ。心のよきもの、神にまつりて、この世の守護神と現しますよ。理屈はわからなくても真理は掴(つか)めます。信念と真念は違います。信念は自分のもの。信念超えて真念あります。任せきったのが真念です。迷信が迷信でなくなることあるのです。だからといって信念がいらないのではありません。もう待たれないからわかった人民一日も早く奥山に参りて神の御用結構につとめあげて下さいね。世界中を天国にいたす御用の御役、つとめ上げて下さいね。人間の念力だけでは何程(なにほど)のことも出来はしません。その念力に感応する神の力があるから人間にわからない、びっくりが出て来るのです。(一月三日)一二十

 

 

第七十五帖(五八六)

 

 戦(いくさ)や天災では改心出来ません。三千世界の立て直しですから、誰にもよりません。下(しも)の神々様もアフンの仕組で、見事成就させるのですが、よく神示読めば、心で読めば、仕組九部通りはわかるのですよ。死ぬ時の想念がそのまま続くのですから、その想念のままの世界に住むのですよ。この世を天国として暮らす人、天国へ行きます。地獄の想念、地獄生みます。真理を知ればよくなります。そんなこと迷信と言いますが、求めて見なさい。百日一生懸命求めて見なさい。必ずおかげあります。神があるから光が射して嬉し嬉しとなるのですよ。(一月三日)一二十

 

 

第七十六帖(五八七)

 

 真理を知って、よくならなかったら、よく省みなさい。よくなるのがマコトなのです。悪くなったら心しなければなりません。善人が苦しむことあります。よく考えてみなさい。長い目で見てよくしようとするのが神の心です。目の前のおかげではなく、永遠の立場から、よくなるおかげがマコトのおかげ。神徳は重いから腰ふらつかないようにして下さいね。その代わり貫きて下さったら、永遠(とわ)にしぼまない九の花となりますよ。二三(フジ)に、九(ク)の花どっと咲きますよ。拍手は清めですが、神様との約束固めでもありますよ。約束違えないように。(一月三日)一二十

 

 

第七十七帖(五八八)

 

 富士の仕組とは動かない真理、ウズウミ(渦巻きの印)の鳴門の仕組とは、弥栄の限りなき愛のことです。神の道に入り、道をふんで居れば、やり方一つで何でもよく、嬉し嬉しとなります。世の元から出来ているミタマの立て直しですから、一人の改心でも中々であると言っているのに、ぐずぐずしていると間に合いません。気の毒出来ますよ。めぐりと言うのは自分のしたことが自分にめぐって来ることです。めぐりは自分でつくるのですよ。他を恨んではなりません。美の門から神を知るのが、誰にでもわかる一番の道です。芸術から神の道に入るのは誰にでも出来ます。この道理わかるでしょう。審判(さばき)の廷(にわ)に出たならば、世界は一人の王となります。御出まし近くなりましたよ。自分よくしてくれと言っていますが、それは神を小使(こづかい)に思っているからですよ。大きくなりなさい。(一月三日)一二十

 

 

第七十八帖(五八九)

 

 悪で行けるなら悪でもよいですが、悪は影ですから、悪では続かないから早く善に帰りなさいと言うのです。先祖は肉体人を土台として修業します。めぐりだけの行をしなければなりません。(一月三日)一二十

 

 

第七十九帖(五九〇)

 

 心、入れ替え奥山へ参りて、その場で荷物を持たすようになりますから、ミタマを十分磨いておいて下さいね。神が力添えますから、どんな見事な御用でも出来るのですよ。(一月三日)一二十

 

 

第八十帖(五九一)

 

 欲が深いから先が見えないのです。悪神よ、今までは思う通りに、始めの仕組通りにやれたが、もう悪の利(き)かない時節が来たのですから、早く善に立ちかえりて下さいね。善の神まで捲(ま)き入れての仕放題(しほうだい)。これで不足はもうないでしょう。いくら信仰しても借銭なくなるまでは苦しまなければなりません。途中でへこたれないように、生命がけで信仰せねば借銭なしは難しいのです。途中で変る紫陽花(あじさい)では、御用難しいのです。(一月三日)一二十

日月神示 黄金の巻 第八十一帖(五九二)から第八十七帖(五九八)

第八十一帖(五九二)

 

 心に凹凸(おうとつ)あるから幽界のものに取りつかれて、つまらないことになるのですよ。つまらないことをひろめて亡びますよ。(一月三日)一二十

 

 

第八十二帖(五九三)

 

 いよいよとなって助けてくれと走り込んでも、その時では遅いから、間に合わないから、早く神の心悟れと言ってあるのですよ。笑いのない教えにしないでくださいね。学問や金を頼っているうちは、まだまだ改心出来ません。今までの宗教の力でも、法律でも、どうにもなりません。掃除が目の前に来ています。神の力を頼るより他に道ないことまだわからないのですか。中程まで進むとわからないことありますよ。神の試練気つけてくださいね。どちらの国も見当とれないことになりますから。肚(はら)立つのはめぐりあるからです。善で続くか悪で続くか、この世に善と悪とがあって、どちらで立って行くか、末代続くか、得心(とくしん)ゆくまで致させてありましたが、もう悪では続かないことが、悪神にもわかって来るのですから、今しばらくのゴタゴタですよ。ものの調和がわかれば、正しき霊覚が生まれますよ。神の姿がうつって来ますよ。(一月三日)一二十

 

 

第八十三帖(五九四)

 

 光る誠の行をさしたら、皆逃げてしまうから、ここまで甘くして引っ張って来ましたが、もう甘く出来ませんから、これからはキチリキチリと神の規則通りに行いますから、御手柄(おてがら)結構に、褌(ふんどし)しめて下さいね。この世は神の国の写しであるのに、幽界から写って来たものの自由にさせられて、今の体裁(ていさい)、この世は幽界同様になっていますよ。地(くに)は地のやり方しなければ治りません。早く気付いた人民から、救いの船を出して下さいね。これと信じたらまかせ切りなさい。損もよいのです。病気もよいのです。怪我もよいのです。それによってめぐり取って戴くのですよ。めぐりなくなれば日本晴れですよ。今からその借銭済ましです。世界のめぐり大きいのです。真理は霊、芸術は体です。正しき芸術から神の道に入るのもよいのです。説くのもよいのです。芸術の行き詰まりは真理がないからです。芸術は調和。七つの花が八つに咲きますよ。(一月三日)一二十

 

 

第八十四帖(五九五)

 

 神は人民に改心させて、世の立て替え立て直し致そうと思ったのですが、曇りがあまりにひどいから、何事のびっくりが出るか、もう神も堪忍袋(かんにんぶくろ)の緒切れたのです。人間が恨みや怒り持つと、その持ち物までが争うことになります。早く気持ちから洗濯して下さいね。死んでも続きますよ。結構に始末せねばなりません。上に立つ者余計に働かねばならない時来ていますよ。いくら古くから信心していると言っても肝腎がわかっていないと何にもなりません。よい御用出来ません。想念の自由とは、神に向上するより上の、より善き方に進む自由です。どの世界の人民も自由もちます。(一月三日)

 

 

第八十五帖(五九六)

 

 裏の仕組にゝ入れると表の仕組となり、表の仕組に〇入れると裏の御役となるなり。ゝ抜けば悪のやり方となるのです。どの仕組もわかっていないと、三千世界の先々までわかっていないと、何事も成就しませんよ。神界の乱れ、イロからですと言ってありましょう。男女関係が世の乱れの因(もと)なのです。お互いに魂のとりやりですよ。この世ばかりでなく、あの世まで続くのですから、くどう気つけなさい。コトはモノになります。悪いことすれば悪いもの生まれて来て、生まれ故郷に喰い付いて悪くします。善いことも同様です。因縁のあるみたまが集まって来て人のようせん辛棒して、世界の立て替え立て直しの御用致すのですから、浮いた心で参って来ても御役に立ちません。邪魔ばかりです。因縁のみたまはどんなに苦しくても心は春です。心勇まないものは、神示(ふで)読んで馬鹿らしいと思うものは、遠慮いらないので、さっさと帰って下さいね。神はもう、機嫌とりは御免なのです。(一月三日)

 

 

第八十六帖(五九七)

 

 一分一厘、力一杯、違わないこと書かしてあるのですよ。色眼鏡で見るから、違ったことに見えるのです。神示、嘘だと言うようになるのです。眼鏡外して、落ちついてみて、肚で見て下さいね。世の先々のことまではっきりと移りますよ。そなたの心の中にいる獣(けだもの)、言向(ことむ)けねばなりません。善きに導かねばなりません。一生かかってもよいのです。それが天国に行く鍵なのです。マコトの改心なのです。智慧と、愛が主の座に居らねばなりません。物は愛から生まれます。ウムものがもとです。生まれるものはナルのです。ナルには智慧でなるのですよ。(一月三日)

 

 

第八十七帖(五九八)

 

  まことに改心出来たと、神が見届けたら、今度はこの世はもとより、何の心配もないように護(まも)って、肉体、顔まで変えてやりますよ。宿命と運命は同じではありません。磨けばどんなにでも光ります。放っておいても神に背くものは自滅して行き、従うものは弥栄えて生きます。其処(そこ)に神の能(はたらき)、よく悟りて下さいね。人間の処理方法と神の処理方法と融和せねばなりません。急がねばならず、急いでは谷底に落ちて出来損(そこ)ないます。ありとあるもの、何(な)んでも彼(か)んでも天地の御用持っていますよ。そのものの勝手な道は許しませんよ。大き喜びの中に、小さい自分の喜び大きく栄えますよ。大きな生命の中にこそ小さい自分のマコトの喜びが弥栄えるのです。わかりましたか。(一月三日)

日月神示 黄金の巻 第八十八帖(五九九)から第九十五帖(六〇六)

第八十八帖(五九九)

 

 日本は日本、唐(から)は唐、オロシヤはオロシヤ、メリカキリスはメリカキリスです。分け隔(へだ)てするのは神の心ではないと言う人民沢山ありますが、世界は一平ですと言って、同じことです、同じ神の子だと言っていますが、頭は頭、手は手、足は足と言ってありましょう。同じことであって同じではないのです。悪平等は悪平等です。世界丸つぶれのたくらみです。この道理よく心得なさいな。すべてのものをまず感受しなさい。その後に感謝しなさい。感謝すれば弥栄えます。(一月三日)

 

 

第八十九帖(六〇〇)

 

 喜びは神から流れ、愛から流れ出るのですが、愛そのもの、善そのものではありません。生命なのです。生命ですが生命の本体ではありません。天地には天地のキ、民族には民族のキありますよ。そのキは時代によって変わって来ます。その時のキが、その時のまことの姿ですよ。それに合わないものは亡んでしまいますよ。火の洗礼、水の洗礼、ぶったり、たたいたり、火(カ)、水(ミ)の洗礼なくては銘刀は出来ない道理です。(一月三日)

 

 

第九十帖(六〇一)

 

 世界中がいくら集まって、善き世にいたす相談しても、肝腎のゝがわからないから、まとまりつきません。だれ一人、悪いわがままの癖(くせ)持たない人間ないのですよ。その癖を直して行くのが、皮むくことです。改心です。弥栄行くことですよ。金持つと金の地獄に、理屈持つと理屈の地獄に、神に捉われると神の地獄に落ちて苦しみますよ。持たねばならないし、中々ですねえ。まず求めなさい、求めなければなりません。まず捨てて求めなさい、求めて行しなさい。(一月三日)

 

 

第九十一帖(六〇二)

 

 愛の人間は深く、智の人間は広く進みます。経(たて)と緯(よこ)なのです。二つが織りなされて、結んで弥栄する仕組。経のみではなりません。緯のみではなりません。この世に生まれてはこの世の御用、この世の行せねばならない道理。この世に生まれて、この世の行せねば、生まれた時より悪くなります。草木より役に立たないものとなります。草木に変えると言ってありましょう。神が変えるのでありません。自分で成り下がるのです。わかりましたか。(一月三日)

 

 

第九十二帖(六〇三)

 

 つつましく、正しくして行けばその国々で一切不足なく暮らして行けるように何もかも与えてあるのに気付かないのですか。天災地変は人間の心のままと言ってありましょう。豊作、凶作心のままです。今のままで行けばどうなるか、誰にもわからないでしょうが、神示通りに出て来ること、未だ疑っているのですか。ひつくとみつくの民(たみ)あると言ってありましょう。ひつくの民は神の光を愛の中に受け、みつくの民は智の中に受けます。愛に受けると直(ただ)ちに血となり、智に受けると直ちに神経と和してしまうのです。二つの民の流れ。(一月三日)

 

 

第九十三帖(六〇四)

 

 そなたが神つかめば、神はそなたを抱きます。神に抱かれたそなたは、平面から立体のそなたになるのです。そなたが有限から無限になるのです。神人(かみひと)となるのです。永遠の自分になるのです。他のために行しなさい。神は無理申しません。始めは子の為でもよいのです。親の為でもよいのです。自分以外の者の為に、まず行しなさい。奉仕しなさい。嬉し嬉しの光さし初(そ)めますよ。始めの世界ひらけますよ。一本足では立てません。二本足がよいのです。やがては明くる二三(フミ)の朝、二二(フジ)は晴れたり、日本晴れ。(一月三日)

 

 

第九十四帖(六〇五)

 

  落ちていた神々様、元へお帰りなさらねばこの世は治まらないのですよ。一人一人ではいくら力ありなされても物事成就しません。それは地獄の悪のやり方。一人一人は力弱くとも一つに和して下さいね。二人寄れば何倍か、三人寄れば何十倍もの光出ますよ。それが天国のまことのやり方、善のやり方、善人、千人力のやり方ですよ。誰でも死んでから地獄へ行きません。地獄は無いのですから行けない道理です。曲がって世界を見るから、大取り違うから曲がった世界つくり出して、自分で苦しむのです。其処に幽界出来るのです。有りて無き世界、有ってはなりません。(一月三日)

 

 

第九十五帖(六〇六)

 

 四季はめぐります。めぐる姿はウヅです。ウズは働き、上れば下り、下れば上る。この神示読んだ今が出航の港、神の恵みの時与えられているのです。明日と言わず実行しなさい。明日は永遠には来ませんよ。無いのです。今のみあるのです。(一月三日)

日月神示 黄金の巻 第九十六帖(六〇七)から第百帖(六一一)

第九十六帖(六〇七)

 

 ウシトラコンジン様をまず理解しなさい。どんなことでも叶えてやりますよ。理解するには、理解する心、まず生まなければなりません。我れ善しでは拝めないコンジンさまですよ。天地すべてのもの、生きとし生けるもの悉(ことごと)く、よりよくなるように働いているのですよ。それが神の心、稜威(みいづ)です。弥栄というものです。その時、その人間のキに相応した神しか拝めません。悪いキで拝めばどんな立派な神前でも悪神が感応するのです。悪神拝んでも正しき愛と喜びあれば、善き念が通じるならば、悪神引っ込んで、それぞれの善き神現われるのですよ。この道理よく心得なさい。(一月三日)

 

 

第九十七帖(六〇八)

 

 生命捨ててかからねば、まことの理解には入れない道理。身欲信心では駄目。いのち捨てねば生命に生きられない道理。二道二股多いと言ってありましょう。物の文明、悪(あ)しざまに言う宗教は亡びます。文明も神の働きから生まれたものですよ。悪も神の御働きというもの。悪にくむこと悪なのです。善にくむより尚(なお)悪い。何故にわからないのですか。弥栄ということは歩一歩ずつ喜び増して行くことですよ。喜びの裏の苦に捉われるからわからないことに苦しむのです。苦と楽、共に見なさいと言ってありましょう。偶然の真理、早く悟りなさい。(一月三日)

 

 

第九十八帖(六〇九)

 

 大切なものは一切は、神が人間に与えてあるではないですか。人間はそれを処理するだけでよいのですよ。何故に生活にあくせくするのですか。悠々(ゆうゆう)、天地と共に天地に歩みなさい。嬉し嬉しですよ。一日が千日と言ってありましょう。神を知る前と、神を知ってからとのことを言ってあるのですよ。神を知っての一日は、知らない千日よりも尊いのです。始めは自分本位の祈りでもよいと言ってありますが、いつまでも自分本位ではなりません。止まると悪となります。神の道は弥栄です。動き働いて行かないといけません。善と悪との動き、心得なさいな。悪は悪ならず、悪にくむが悪。(一月三日)

 

 

第九十九帖(六一〇)

 

 内にあるもの変えれば外からうつるもの、響いて来るもの変わって来ますよ。内が外へ、外が内へ響くのです。妻にまかせきった夫、夫にまかせきった妻の姿となりなさい。信仰の真の道ひらけますよ。一皮むけますよ。岩戸ひらけますよ。富士晴れますよ。(一月三日)

 

 

第百帖(六一一)

 

 真理を理解して居れば心配いりません。失敗も財産です。真剣で求めると真剣授かりますよ。求めるとは祈ること。よく祈るものはよく与えられます。日々の祈りは行です。百年祈り続けても祈りだけでは何もなりません。それは祈り地獄です。祈り地獄多いですね。肉体人は肉体の行しなければなりません。日々の祈り結構いたしてくださいね。次の祈りは省みることです。いくら祈り行じても自分省みなければ、千年行じても何もならない道理です。同じ山に登ったり降ったり、御苦労のこと、馬鹿の散歩というものです。悔い改めなさいと言ってありましょう。省みて行ずるその祈り弥栄えますよ。平面の上でいくら働いても、もがいても、平面行為で有限です。立体に入らなければなりません。無限に生命しなければなりませんよ。立体から複立体、複々立体、立々体と進まなければなりません。一から二に、二から三にと、次々に進めなければなりません。進めば進むほど、始めに帰りますよ。ゝに至りますよ。立体に入るとはマコトの理解生活に入ることです。無限に融(と)け入ることです。イワトあけなば富士輝きますよ。弥栄々々。(一月十八日)

日月神示 白銀の巻 第一帖(六一二)から第二帖(六一三)

第二十五巻

 

白銀(しろがね)の巻(全七帖)

 

自 昭和二十四年十二月十四日

 

至 昭和二十五年五月八日

 

 

第一帖(六一二)

 

 天地の理(ことわり)書き知らせますよ、この巻「しろかね」の巻。天国です、霊国です、地獄です、浄土です、穢土(えど)ですと言っていますが、そんな分け隔(へだ)てはないのですよ。時、所、位に応じて色々に説き聞かせてあるのですが、時節到来したので、まことの天地の理(ことわり)を書き知らせます。三千の世界の中の一つがそなたたちの世界なのですよ。この世もまた三千に分かれ、さらに五千に分かれています。この方(ほう)五千の山に祀れと言ってありましょう。今の人民の知り得る世界はその中の八つです。人民のタネによっては七つしか分からないのです。日の光を七つと思っていますが八であり、九であり、十ですよ。人民では六つか七つにしか分けられないでしょう。「イワトがひらけるとさらに九、十となりますよ。隠してある一厘の仕組、九十の経綸、成就した暁(あかつき)には何もかもわかる」と言ってありましょう。八つの世界とは(△、△、▽、ア、オ、ウ、エ、イ)ですよ。八は固、七は液、六は気、五はキ、四は霊の固、三は霊の液、二は霊の気、一は霊のキ、と考えてよいのです。キとは気の気ですよ。その他に逆の力があります。九と十です。その上にまた霊の霊の個から始まっているのですが、それはムの世界、無限の世界と心得なさい。霊界に入って行けば、その一部は知れますが、皆直(ただ)ちにはわからないのですよ。わからないことはわからないと、わからないといけないと言ってありましょう。天、息吹けば、地、息吹くと言ってありましょう。このことよくわきまえなさい。地の規則、天の規則となることあると言って知らせてありましょう。この大切こと忘れることのないように。想いの世界が天です。肉の世界が地です。想いは肉体と一つです。二つです。三つです。想い起こって肉体動くのです。肉体動いて想い動くこともあります。生まれ赤児(あかご)の心になって聞いて下さいね。何もかも、ハッキリ写りますよ。陰と陽、右と左、上と下、前と後、男と女と考えていますが、タカミムスヒとカミムスヒと考えていますが、別のミナカヌシ、現われますよ。(不明記号)、(不明記号)、(不明記号)、(不明記号)、(不明記号)、(不明記号)、(不明記号)、(不明記号)、卍、(卍の反対)、(太文字の+)、+、よく見て下さいね。一であり、二であり、三でありましょう。三が道と言ってありましょう。陰陽二元ではないのです。三元です。三つなのです。ゝなくてはなりません。ゝにも隠れたゝと現われたゝとがありますよ。このことまず心得て下さいね。そなたたちは父と母と二人から生まれ出たのですか。そうではないでしょう。三人から生まれ出ていることわかるでありましょう。どの世界にも人が住んでいるのですよ。(記号不明)の中に(記号不明)があり、その中にまた(記号不明)があり、限りないのですと知らせてありましょう。そなたたちの中にまた人がいて限りないのです。この方人民の中にいると知らせてありましょう。そなたたちも八人、十人の人によって生きているのですよ。また十二人でもあるのですよ。守護神というのは心のそなたたちのことですが、だんだん変わるのですよ。自分と自分と和合しなさいというのは、八人十人のそなたたちが和合することです。それを改心と言うのですよ。和合した姿を善と言うのです。今までの宗教は肉体を悪と言い、心を善と言って、肉体をおろそかにしていましたが、それが間違いであること合点(がてん)いきましたか。一切が善いのだということ合点いきましたか。地獄ないこと合点いきましたか。悪抱き参らせよと言ってあること、これで合点がいきましたか。合点ですネエ。各々(おのおの)の世界の人がその世界の神なのですよ。この世ではそなたたちが神なのですよ。あの世では、そなたたちの心を肉体としての人がいるのですよ。それがカミと言っているものです。あの世の人をこの世から見ると神ですが、その上から見ると人なのです。あの世の上の世では神の心を肉体として神がいますのであって限りないのです。裏から言えば、神様の神様は人間様です。心の守護神は肉体ですと言ってありましょう。肉体が心を守っているのですが、だからと言って肉体が主人顔してはなりません。何処(どこ)までも下に従うのです。順乱すと悪となりますよ。生まれ赤児踏み越え、生まれ赤児になって聞いて下さいね。そなたたちの本尊は八枚十枚の衣(ころも)着ているのですよ。死ということは、その衣、上から脱ぐことですよ。脱ぐと中から出て来てまた八枚十枚の衣つけるようになっているのですよ。わかるように言っているのですよ。取り違いしないようにしなさい。天から気が地に降って、ものが生命し、その地の生命の気がまた天に反映するのですが、まだまだ地には凸凹あるので、気が天に還らずに横に逸(そ)れることありますよ。その横の気の世界を幽界と言うのです。幽界は地で曲げられた気のつくり出したところです。地獄ではありませんよ。(十二月十四日)

 

 

第二帖(六一三)

 

 わかるように言うならば、宇宙はゝ真と愛との現われです。愛と真ではありません。ゝ、愛、真、善、智ですが、愛真でもなく、善智でもありません。愛と真が善と智と現われ、喜びとなってはたらき、ゝが加わって弥栄えた生命なのです。愛のみというものありませんよ、真のみというものありませんよ。愛と現われ真と現われるのですよ。人間には現われたものだけよりわからないのですが、言分(ことわ)けて言うなら愛には真隠れ、真には愛隠れ、その奥にゝがあるのです。人間は親を父と母とに区別していますが、母と現われる時は父その中に居り、父と現われる時はその中に母いるのですよ。いずれも親ですよ。父となり母となり現われるのですよ。愛と真、善と智と区別して説かしておきましたが、それは今までのこと、いつまでもそんなところでまごまごさせてはおけません。ゝがわからねばなりません。ゝのゝがわからねばなりません。男の魂は女、女の魂は男と言ってありましょう。人間の目に愛とうつるものは外の愛、真とうつるものは外の真です。中から言えば外は御役の悪なのです。今が過去で、今が未来です。時間にふみ迷わないように。空間に心ふみ迷わないように。皮一枚脱いで心でよく考えなさい。いつも日が出ているではないですか。月輝いているではないですか。力そのものに、力はないのですよ。霊と肉の結びのみで力現われるのではないのです。プラスとマイナスと合わせて組みて力出ると思っているのでしょうが、一歩踏み出さなければならないのですよ。プラスとマイナスと合わせたのではプラスとマイナスなのです。力出ないのです。ゝの力が加わって其処(そこ)にヨロコビ出て、理(ミチ)となり、なり、なりて真実と現われるのですよ。弥栄が真実です。神です。神の心です。竜神と言っていますが竜神にも二通りありますよ。地からの竜神は進化して行くのですよ。進化を嘘だと思うは神様迷信です。一方、天からの竜神は退化して行くのですよ。この二つの竜神が結ばれて人間となるのです。人間は土でつくって、神の気入れてつくったのだと言ってありましょう。岩戸閉めと岩戸開きの二つの御用のミタマあると言ってありましょう。ミタマの因縁恐ろしいのですよ。愛と智は呼吸して喜びとなるのです。よろこびは形をとります。形なく順序なきもの〇なのです。善と真のはたらきを完全にするには、善と真との差別をハッキリとさせねばなりません。融け合わせ、結んでヨロコビと現われるのですが、区別することによって結ばれるのですよ。ゝしなければなりません。すればするほど力強く融け合うのですよ。大きな喜びとなるのですよ。このこと日月(ひつく)の民(たみ)にはわかるでしょう。道は三つです。合点ですねえ。小の中に大あります。無(ム)の中に有(ウ)あります。ものますます小さければ、ますます清ければますます内に大きなものあり、ますます純なものありますよ。神はそなたの中にありますが外にもありますと言ってありましょう。(不明記号)(ウム)よく見て下さいね。愛はそのまま愛ではありませんよ。真はそのまま真ではありませんよ。善はナマでは善ではありませんよ。智はナマでは智ではありませんよ。ゝ入れて、結んで解けてヨロコビとなるのです。ヨロコビ生命です。宇宙のすべて生命ですよ。(一月一日)